混沌を透過する

映画『river』の登場人物・横井茂。
あのイジメ事件以降、彼は仮面をかぶり続けている。
彼が、剥き出しの激しい感情を見せた事があるのか?
無防備に、感情を見せる事は、無かったのか?
river本編とはまったく関係が無い、少年横井の一時の出来事です。

*注意*
かなり長い文章になっています。
映画『river』を、これから見る人、は読まないほうが良いです。
今回の文章は物語のネタバレでは無いけど、
横井に対して偏った先入観に囚われるかもしれません。
以上、御了承下さい。
御了承できなければ、申し訳ありませんがお帰り下さい。ゴメンナサイ。

 
 霞んだ白。
 滲んだ黄色。
 ぼやけた緑色。
 淀んだ霧に覆われて、それらが混沌としている。

 ここは現なのか常世なのか・・・。
 
 誰も居ない。
 誰も見ていない。
 誰も聞いていない。
 今、ここに自分だけが存在しているかのような錯覚に捕われる。



 夏休みに入ってすぐ、遠い親戚の法事があった。
 『北海道の湘南』『九州のハワイ』と呼ばれる街があるなら、ここは『北海道のアラスカ』か『北海道のロンドン』かと言いたくなるような場所だった。
 そこは、肌寒く、白く霞んだ土地だった。

 俺は、法事には出席したが、親族会議に出席を許されずに室外に出された。
 他にも出された子ども達がいて別室でテレビゲームをしていた。
 が、俺は別行動を取った。
 
 目の前に広がるのは、中途半端な白色の空と、半透明の冷たい霧と、原野・・・。
 鳥の声も、虫の声も、風の音も聞こえない。
 中途半端な速さで時間が流れていく空間。

 俺は、中途半端な幅、中途半端な舗装の道を、歩く。
 迷うことのない一本道を。
 景色は、いつまでたっても変わらない。
 ただ、原野にポツンと建っている親戚の家が見えなくなっただけ。

 俺は何をしているのだろう?

 ふと、立ち止まる。

 何も無い。

 あるのは・・・霞んだ白、滲んだ黄色、ぼやけた緑色。
 俺はそこに踏み込んだ。
 湿った原野は、電車のイスよりも柔らかく感じた。
 滲んだ黄色は、そばによると、百合のような花だった。
 俺は、草も花も関係なく、手に当たる物を掴み、毟った。
 最初は、色々なことが頭を過ぎった。
 裏切られた事、虐められた事、怪我をした事・・・。
 右手の傷が、捲りあげた袖から覗く。
 目をそらし、草を毟る。
 何時しか思考は止まり、無心に、草を毟り続けた。



 「ちょっと、そこの・・・少年!」

 俺は、不意に言葉をかけられ、振り向いた。
 誰だ?
 そいつは俺と目があうと、一瞬たじろいだ。
 
 「なんだよ?」
 「その草なんだけど・・・」

 言いよどむそいつは、無憶えのない顔・・・この辺の人間か?親族ではない、俺と利害関係がまったくない他人。

 「説教する気か?天然記念物か何かだって言うのか!?」

 俺は、目の前の草を掴む。
 紫色の小さな花が付いている。
 まったくの赤の他人なら、俺は表情を作ることも、感情を隠すこともする必要がない。
 住んでいる街ならともかく、ここは、親族以外に関わる事はない場所。
 だから、俺は、攻撃的に、思うまま喋っていた。

 「毒草だよ。それ」
 「えぇ?」
 「傷口から草の汁が入ったら、死ぬかも」
 「まさか・・・トリカブトか!」

 慌てて手を離す。
 その様子を見て、そいつは、少しだけ近づく。

 「トリカブトじゃないけど、毒草だよ。放牧に出た牛も馬も、その草は食べない」
 「・・・そう、それはご親切にどうも」

 俺は、適当に返事をして、そいつから離れようとした。

 「そっちはダメ!」
 「なんだよ、まだなんかあるのかよ?」

 俺は、動きを止めずに、そいつから、道路から離れ、ぼやけた緑の奥に行こうとした。
 白く霞んだ方向へ。

 「戻って!ワタスゲが見えないの!?そっちは」

 ふいに、足元が揺れた。
 何が起きたのか。
 右足が沈む。
 慌てて戻そうとするが、靴が泥に埋まり戻らない。

 「なんだ?これ・・・底無し沼?」
 「湿原」
 「湿原?原野じゃないのか?」
 「その先にワタスゲがあるでしょう?湿原の植物だよ」
 「ワタスゲ・・・」
 「白くてフワフワしてるやつ。そんなことより、自分で出られる?」
 「え?・・・いや、ダメだ」

 俺は助けを求める代わりに、そいつを睨んだ。
 ここは湿原だなんて誰も教えてくれなかった。
 ここは危険だなんて誰も何も言わなかった。
 寒いし、見通しは悪いし、何もかもに、自分自身にも、腹が立ってきた。

 「態度悪いなあ、でも、見殺しは後味が悪いし・・・」
 「殺す気か!!」
 「あんたが勝手に死ぬんでしょ」
 「おい!!」
 「しょうがないなあ・・・じゃあ、ちょっと待って」

 そいつは一歩一歩、地面を確認しながら近寄ってきた。

 「手を伸ばして、つかまって」
 「・・・」

 俺は、無言で、無愛想に、そいつの手をとった。
 俺とそんなに変わらない大きさの手・・・。

 「よいしょ、っと」
 「ん」

 そいつにつかまって、俺は、なんとか、ぬかるみから抜け出した。
 靴も何とか抜け出したが、抜けた拍子に脱げて、道路まで飛んだ。

 「・・・あんたの靴、泥だらけじゃん」
 「うるさい!」
 「態度悪いなあ。それが目上の者にとる態度?」
 「目上?」
 「目上がどうこうってよりも、一応助けてやったんだけど?」
 「助けてくれなんて言ってない」
 「ああ、そう、じゃ、もっかい戻すわ」

 そいつは、さっさと靴を拾うと、埋まった方向へ投げようとした。
 俺も慌てて道路に上り、掴みかかる。

 「何すんだよ!」
 「靴もあんたも、もっかい埋める」
 「おい!!」
 「・・・血だ。血が出てる」
 「血?」
 「ほら、あたしの手についてるの血だよね?」
 「俺か?」
 「あたしはどこも痛くないけど、あんた、痛くないの?」

 俺は自分の手のひらを見た。
 血が滲んでる。
 傷口はどこだ?

 「それ、洗ったほうが良いんじゃない?靴も」
 「・・・」
 「ついて来て、こっちに水があるから」
 「どこに?」
 「だから、こっちに・・・昔、じいちゃんが住んでいた家の跡があるの、今は誰も住んでないけど、そこに水があるから」

 そいつは、俺の腕を掴み、ひっぱった。

 「ちょっと待てよ。水って、水道が外にあるのか?誰もいなくて水道が出るのか??」

 そいつは、ちょっと首を傾げて考えた・・・。

 「出るよ。昨日、使った」
 「水道料金を払ってなくても出るのか?」
 「・・・私は払ってないなあ」
 「何で使えるんだよ!おまえ、怪しいよ!何なんだよ、お前は!!」

 そいつは、面食らった顔をした、が、次の瞬間、ものすごい勢いで手を伸ばしてきた。

 殴られる!

 俺は身構えた。逃げる暇なんて無かった。
 相手を甘く見すぎた自分を悔やんだ。

 「あんた、何、人に八つ当たりしてんのさ!いいから、ついて来な!」

 そいつの手は、俺を殴らずに、胸ぐらを掴むとぐいっと引っ張った。

 「・・・わかった」

 俺はそれだけ言ってうつむいた。
 そいつは、俺の手首を掴むと歩き出した。
 
 「水は・・・、たしか、山のほうの湧き水をホースで引いてた。使いやすいように水道管と蛇口もつけてあるけど、ホースで持ってきた水を水槽みたいなとこにも溜めてる」
 「水槽・・・」
 「ええと、ほら、温泉みたいだって言えばわかる?新しい水がどんどん入って溢れていくの」
 「・・・ああ、かけ流しの湯みたいに」
 「そう、それ」

 会話が途切れた。

 手首が痛い。

 「おい、お前・・・」
 「何?」
 「痛い」
 「どこ?」
 「手首」
 「ああ、ごめん」

 そいつは、手を離した。

 「ごめんごめん」
 「手を繋げばよかったのに」
 「・・・考え付かなかった」
 「なんで?男と手を繋ぐのが恥ずかしいとか?」

 俺は、そいつを、からかいたくなった。

 「何言ってんの!・・・あんた、小学生くらいだよね?」
 「そういうお前こそ、中学生か?」
 「違う」
 「あ、じゃあ、小6か、俺より一個年上なだけだ」
 「高校なんだけど」
 「え?」
 「高校生!」
 「・・・色気も何にも無い女子高生だな」
 「そんなもの、ここで持ってても役に立たん」
 「なんで?」
 「ワタスゲやエゾカンゾウや、あんた相手に、色気を使う必要は無い」
 「えぞかんぞう?」
 「黄色い花だよ。そこにも咲いてる」
 「本物は見たこと無かった・・・、ニュースでは、もう、咲き終わったって聞いたけど」
 「ここは霧で寒いから季節はずれに咲いてる」
 「ふ〜ん・・・」

 立ち止まって見る。ああ、さっき見た、百合のような花だ。
 
 「行くよ。早く洗わないと、傷からバイ菌が入る」
 「ああ」

 俺は、泥だらけの靴を引きずり追いかける。

 「ねえ、足も痛いの?」
 「いや、でも・・・」

 俺は、どうかしている。
 この、どこの誰だか解らないヤツに、感情のまま接している。
 イライラをぶつけたのは、こいつが初めてかもしれない。
 他人だから、そうできるのか?
 他人だから・・・。
 からかってみたくなるのは、他人だから?

 「でも、なにさ?」
 「歩きにくいから、手を引いて」
 「え?」
 「手を繋いで」

 俺は、傷の無いほうの手を差し出した。
 躊躇するそいつの手を、強引に握る。

 「しょうがないなあ。幼稚園児か、あんたは」
 「そんなこと言って、顔、赤くなってる」
 「な・・・」
 「小学生の男子相手に赤面ですか、女子高生のお姉さん」
 「・・・うるさいなあ」
 「照れてる照れてる」
 「あんたが怒らせるから、頭に血が上ってるだけ」
 「言い訳しちゃって」
 「うるさいぞ、小学生」
 「その小学生を意識してるのは誰ですか?」
 「・・・」

 そいつは、急に立ち止まった。
 俺も止まる。

 「・・・そうだよ。あんたを意識している」
 「・・・え?」
 
 そいつが、真っ直ぐ俺を見つめた。
 高潮した顔で、俺を見つめる。
 不味い・・・本当に怒らせたか?
 いや、意識してるって言ったか!?
 そっちのほうがヤバイんじゃないのか!?
 俺は、二度目の後悔をした。
 どんなヤツか解らないのに、気を許しすぎて、からかった事を。

 「あんた・・・、可愛い顔してるよねぇ。顔も、体も、やわらかそう・・・」
 「何言ってんだよ・・・」

 俺は、後ずさろうとしたが、しっかり手を握られていて動けない。
 そいつの手から、どんどん早くなっていく脈が、ドクドクと感じる。
 いや、もしかしたら、その鼓動は俺かもしれない。
 こんな所で、こんな田舎で、こんな意外な変質者の手にかかるなんて・・・。
 そう思うと、なお一層、体が竦んだ。

 「あんたの言うとおり、好みのタイプなんだよね・・・」
 「や、やめろ・・・じょ、冗談・・・」

 そいつは、もう一方の手を伸ばす。
 逃げられない!
 俺は此処でどうなる?
 運が悪ければ殺されて底なし沼行き?
 それとも・・・いや、考えたくないが、こんな所で、セイテキギャクタイ?

 「逃げられないよ・・・」
 「や・・・」

 そいつの手が、俺の頬に触れた。
 力が抜けそうになる。
 そいつは、指に力を込めた。

 「この生意気な小学生め」
 「い、痛ってえぇーーーー!」
 「痛くてあたり前だ、クソガキが」
 「何すんだよ!放せ!」

 そいつは、俺の頬を、思いっきりつねった。
 そして、その手を放すと、素早く耳を掴みあげた。

 「こっちの方が良いか」
 「それも痛いって!放せ!」

 そいつは、手を放すと、乱暴に俺を突き飛ばした。
 俺は草に手を突き転んだ。

 「・・・気分はどう?殺されるとでも思った?それとも襲われると思った?」
 「何するんだよ!」

 今度は、そいつの平手が飛んできた。

 「それは、こっちのセリフだ。あんたこそ何だよ?」
 「・・・」

 俺は、草がまばらな地面に座ったまま、睨み返すことしか出来なかった。

 「最初は、植物に八つ当たり」
 「・・・」
 「次は、あたしに八つ当たり」
 「・・・」
 「その次は、あたしをからかった」
 「・・・」
 「あんた、何、八つ当たりばっかりしてんのさ!」
 「・・・」
 「言いたい事あるなら、はっきり、その相手に言えば良いだろう?」
 「・・・」
 「それが言えないからって、無関係なあたしに八つ当たりすんな!」
 「・・・うるさい」
 「うるさいのは、あんただ」
 「黙れ!お前なんて何にも知らないくせに!俺の事なんて何も知らないくせに偉そうな事、言うな!!」

 俺は、そう言うと、そいつに飛びかかった。
 なんだか腹が立った。怯えた事も恥ずかしかった。
 そいつに掴みかかり、顔をぶった。

 「そうだよ、あんたの事なんて知らないよ。知らないのに八つ当たりされてんだよ!」
 「黙れ!黙れよ!!」
 「そう言えば良いじゃない、その感情をぶつけなきゃいけない相手にさ」
 「うるさい!」

 俺は、もう一度、殴ろうとした。が、その手を掴まれた。
 俺達はもみ合いになり、地面に倒れこんだ。
 俺はそいつの上に馬乗りになった。

 「あんた、それが出来ないって言うなら、泣けば?」
 「泣く?」
 「どうしようも出来ない、どうにもならないんだって言うなら・・・泣けば?」
 「泣いて・・・どうなるんだよ!?」
 「起きてしまった事は変わらない、どうにもならない、けど、泣いたら?」
 「男が泣けるか!」
 「泣けば良いじゃん、・・・あたしも、一緒に泣けるから」
 「え?」
 「あんた、なんかあったんでしょ?」
 「お前に関係ない」
 「泣けばいいじゃない」

 気が付くと、そいつは、目に涙を溜めていた。
 
 「お前・・・、なんでお前が泣くんだよ!」
 「だって、あんた・・・」
 「?」
 「あたしとあんた、そっくりじゃん」

 こいつと俺が似ているって?
 ・・・そうだ、こいつ、こんな所で、なにをしてたんだ?
 たったひとりで、家も何もないこんな所で何をしていたんだ?
 俺と同じなのか?

 「あんたの姿が、自分に見えた」
 「え?」
 「草に八つ当たりする姿が、あたしに見えた」
 「・・・」
 「だから、さ・・・その辛い思い、どこかに、少しでも捨てないと、あんた、壊れちゃう」

 そいつの目から涙がこぼれた。
 俺も、鏡を見ているような気になった。
 そうか、こいつ、俺と同じなんだ・・・。
 彼女の顔に、空から水滴が落ちた。
 雨?
 違う。
 俺の涙・・・

 「俺は・・・」
 
 俺は、泣き顔を見られたくなくて、離れようとした。
 が・・・

 「見ないから」

 そいつはそう言うと、俺の頭をぐいっと引き寄せた。
 一瞬目の前が白くなった。
 ・・・俺は、抱きしめられていた。

 「少しだけ、このままでいて」
 「俺は・・・」
 「もう、いいから、もう・・・いいから」

 そいつはそう言って、俺の頭を撫でた。
 震える手で、彼女が泣いているのがわかる。
 何時しか俺も、顔を埋めたまま、声をあげて泣いてた・・・。

 ・・・・

 どれぐらいの時間が経ったのか・・・。
 俺は、少し恥ずかしくなって、身じろいだ。
 それを待っていたのか、彼女は静かに俺から離れた。

 「おいで、顔、洗ったほうがいい。あ、靴も」
 「・・・うん」

 俺は、素直に返事をしていた。
 だが、目を合わせられなかった。
 彼女は俺の手を引いた。

 「ここで、洗えるよ」
 「うん。・・・あ、もう着いてたんだ」
 「そうだよ、壊れかけた家もあるでしょう?」
 「ほんとだ・・・」

 俺は、すでに古い家の敷地内に入っていたらしい。

 顔を洗い、靴も洗う。
 水は、程よく流れ出ている。
 なんとなく気まずかった。

 「あ、霧が晴れた」
 「・・・黄色い花が、滲んでない!?」
 「そうでしょう?晴れると、緑の中の黄色と白、キレイでしょう?」
 「う、うん」

 振り向く彼女は、さっきの事なんか忘れたような笑顔だった。
 俺もつられて笑った。
 ほんの少しだけ、気持ちが軽くなっていた。

 「・・・ここ、誰も来ないからさ、また、来れば?あたしは、もう来れないけど」
 「来れない?」
 「うん・・・、山の向こう側に引っ越すから」
 「俺も、親戚の所に着ただけだから・・・」
 「そう・・・」

 また、2人はしばらく無言になった。
 でも、今度は、気まずく無かった。
 日がゆっくりと傾いていく。
 少し気温が下がった。
 どちらともなく、二人は寄り添って座っていた。
 まるで猫が暖を取るように。

 ・・・何も語らないうちに、別れの時間が来た。

 「あたし、もう行くね」
 「帰るの?」
 「だって・・・、聞こえない?誰か、あんたを捜してるみたいだよ?」
 「え?」

 確かに、風に乗って、声が聞こえる。

 「面倒だから、行くわ、適当にごまかしておくんだよ」
 「ああ、・・・あの・・・ありがとう」
 「こっちこそ、一緒にいてくれてどうも。たまに一人じゃないのも、いいかも」
 「また、会いたい、・・・でも、無理、だね?」
 「たぶん・・・。けど、縁があれば、どこかで会えるよ」
 「うん・・・」
 「また、殴り合いたい?」
 「うん、そして、黄色い花が見たい」
 「そうだね。・・・じゃあ」
 「うん。・・・じゃあ」

 置いてあった自転車に乗って、彼女は去って行った。
 そうか、ここまで自転車で来て、湿原に入って行く俺を見つけたのか。

 物心がついてから、こんなに感情をぶつけた事があっただろうか?
 八つ当たりして、殴られ、殴り返し、抱き合って泣いたなんて・・・。

 彼女の名前は訊かなかった。
 俺も言わなかった。
 でも、きっと、縁が有れば会える。
 縁があれば・・・。
 もう一人の自分に、会える。



 あれから・・・

 もうすぐ20年。

 縁があったのか、再会した。

 俺は、彼女に言うことはできない。

 あの時の少年だと、名乗れない・・・。

 けれども、彼女は、きっと、全てを見抜いている。

 そして、何も言わなくていいと言うだろう。あの日のように。

 「もう、いいから、もう・・・いいから」

 俺はそう言われるのが怖い。
 
 その時、俺は、きっと壊れるだろう。

 それも彼女は解っているような気がする。

 解っていても、どうしようもない。お互いに。なのに・・・。

 つかず離れず、店主と客の関係を崩せないでいる。

 店には一面黄色のエゾカンゾウの絵がある。

 一面が黄色になるのは嘘だ。そして絵にまつわる「約束」も嘘だ。

 嘘をつくには、ほんの少し真実を混ぜればいい。その通りだ。

 お互い、待ってなんかいないし、捜してなんかいないはず・・・。

 何故、あの絵を描き、言い寄る客を嘘であしらった?

 何故、俺は忘優の名に惹かれ店を探してしまったのか?

 これが運命なら・・・それに委ねるしかないのか?

 いつか壊れるのを恐れながら通い続けるのも運命なのか。

 消えない痛みと苦しみを、ここで増幅させて確認するのが運命なのか。

 そして、俺が壊れてしまったら、彼女がこれを背負ってしまうのだろうか?

 もう一人の自分に、この胸の痛みと罪の重さを預けることになるのか?

 願わくば、この痛みと苦しさ刹那さ寂しさ、死する時に全て持ち去りたい・・・。
 

終り

横井の忘れられない苦しみ。痛み。寂しさ。切なさ。
同じように 何かを抱えた他人との出会い・・・。
だが、2人は、お互いを支えあうほどにはなれない。
ほんの一時、感情をぶつけ合えただけ。
お互いの事も語らなかった。
もっと違う場所で出会っていたら。
もっと語り合っていたら。
お互いの『魂の片翼』になれたのだろうか・・・。

あいにく、彼には心の平安は訪れないでしょう。
あれだけの事をしたのですから。
一生を苦しみぬく覚悟で、最愛のもの達を手にかけてのですから。
それでも、彼に「心の理解者」に出会わせたくて、これを書きました。
もう一人の自分。に、会わせたくて。
苦しみも罪も消えなくても、その痛みを解ってくれる人を。
たった一人でも良いから、そんな人に会わせてあげたくて・・・。


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