僕は立派でなくてはならない。
成績優秀でなくてはならない。
品行方正でなくてはならない。 どこにいようと。
どんな状況でも。
何をしていようと。
父親の転勤が決まったのは唐突だった。
某財閥企業の東日本営業部に所属していたが、実際にどんな仕事をしているのか僕は知らなかった。
通常の業務以外に、建設的でもあり破壊的でもある両極端な仕事をする事もあり、子供に説明して解かる事ではないらしい。それに業務内容は極秘とも言われた。
厳格な父親だったから、それ以上詳しい事は訊こうとは思わなかった。
出張が多い父だったが、今回は出張では片付かない仕事らしく、一時転勤となった。
転勤と言っても任務が終るまでの”出向”らしい。
何ヵ月かかるか解からないが、子供が小さいうちは家族は一緒に住むべきだと言う父の言葉で、街から離れた炭坑町へ転校する事になった。
今の内に、違う世界も体験して置いたほうが良いとも言われた。
違う世界?それは、田舎の小学校や、田舎の不便な生活のことだろうか・・・。
父の決定は、絶対であり、誰も異議を唱える物は居ない。
毎日の様に、我が家に来ていた祖母も、僅かに目尻を動かしただけで「あなたの決めた事なら宜しいでしょう」と言った。
母や僕には、意見など求めない。いや、すでに僕の居ない所で話し合いをしていたのか?ともかく、母は、それに素直に従う。大きな決定は父だが、細かい準備は全て母。その母の行動に、指摘・指示をするのが祖母だ。
祖母の視線は、時折、僕に移る。
だが、叱られる事はほとんど無い。
いつだって、僕の身の回りは整理整頓されていて綺麗だったから。
「横井茂です。よろしく」
5年生の一学期の初日、僕は転校先の学校の教室にいた。
今までいた私立小学校と、まるで雰囲気が違う。
僕に関心がある者、関心が無い者、どうでも良さそうにあくびをする者。
新しい教科書を貰った時も不安だった。こんな教科書で、いったい何を勉強するのだろう?僕はこんな所で勉強ができるのだろうか?と。
今、目の前の子供達は、明らかに勉強とは無縁そうな顔をしている。
これは、元の生活に戻った時、苦労しそうだと思った。
ホームルーム等が終り、一学期最初の授業は、「鮭の稚魚放流」だった。
恒例行事なのか。皆、手馴れた様子でバケツを用意し、川に集まって行く。
僕は、少し離れてその様子を見ていた。
(なるほど、児童が1クラスに40人以上も居れば、担任も、いちいち一人一人に構っていられないわけだ。これだけ騒がしければ、サボっているヤツも、やる気の無いヤツも、人のバケツまで奪ってるヤツも、先生は目が届かないんだ)
僕は、そんな事を考えていたが、気が付くと、ハンカチで靴を拭いていた。
これは、僕のクセだ。
ふっと、間が空くと、何かを拭いていたり、整理整頓していたり、片付けていたりする。
別に綺麗好きではない。
散らかっていても汚れていても、勉強や読書に夢中になっていれば、別に気にならない。
まあ、気にしていないのに、いつのまにか綺麗にしてしまうのだが・・・。
自分でも解からないが、これは、大人の”無意識にする喫煙”と似ているのかもしれない。
「横井君?だよね?」
誰かが声をかけてきた。
この顔は、確か同じクラスに居た顔だと思う。
そうか、学級委員長か?担任は『解からない事があったら学級委員長に訊くように』と言っていたが・・・、転校の手続きの時に名前を教えてくれただけで、紹介されていなかった。
「うん、君は?」
「佐々木、耕一」
「・・・佐々木君?」
学級委員長ではなかった。
彼は、僕にバケツを貸してくれた。
バケツの中には、僅かな水と数匹の鮭の稚魚。
こんな狭い所から、早く川に戻してあげないと弱ってしまう・・・。
僕は、そっと川の流れの緩やかな所に、それを放流した。
いったい、ここから何匹、放流したのだろう?
鮭は一度の産卵で約3000個産むが、無事に産まれた場所に戻ってくるのは2、3匹。
この放流は、どれくらいの効果があるのだろう?
効果があるほど放流したのか?小学生に放流させて良いのか?皆、けっこう手荒に稚魚を川に入れている。
気が付くと、僕はまた、足元の汚れを払おうとしていた。
一週間が経った。
面白半分に好奇心で、転校生にまとわりついていた同級生も散って落ちついた。
僕は、佐々木君達と行動を供にする様になっていた。
一見、大人しそうな少年が学級委員長の藤沢君。
若干、自己陶酔的要素があるのが九重君。
そして、優しいような優柔不断のような不安定な表情の佐々木君。
僕は、綺麗好きな真面目な優等生ぶっている。
共通点が無さそうな4人だったが、何故か僕は、違和感を感じず一緒に居ることが出来た。
僕は、彼らの秘密基地に招待された。
放課後、僕らは誰よりも早く教室から飛び出し、誰も居ないうちにそこへ向かった。
体育館のステージ下の古い用具置き場。
新しい用具の置き場は別にある。
歴史の古い学校だから、木造校舎と同じくらいの年期の入った使えなくなった古い用具もたくさんあった。それを処分する事も無く、押し込めてあるのだ。
ステージの横のドアに、南京錠が付いている。
鍵をかける金具はだいぶ錆びていて、ネジと金具が錆びて付着しいている。
だが、木の引戸の方は、金具のネジがついている部分が脆くなっていて、金具を掴むと、そのまま、金具がネジごと外れる。
すばやく中に潜りこみ、鍵がかかっているように見せかけ戸を閉める。
埃っぽい空間。短い階段がステージ下へと続く。
「凄い・・・」
「すごいだろ」
「びっくりした?」
「良い場所だろう。俺が見つけたんだ」
明かり取りの窓から、斜めに光りが差し込む。
その光りに埃が舞っている。
甘いような、不思議な匂いの埃っぽい空気に、僕は咳き込む。
「大丈夫?」
「しっ、静かに!」
「この場所がバレるぞ!」
「・・・ご、ごめん」
僕は必死に咳を堪えた。
薄暗さに慣れていくと、そこには様々な物が置かれていた。
壊れかけた跳び箱、薄汚れたふにゃふにゃのマット、ボロボロのダンボール、傷だらけの木製の机にイス、角の擦り減った教壇・・・。
そして、灰皿にタバコ、雑誌、キャラクター消しゴム・・・。
雑誌はゲーム本から、成人向け雑誌まで、なんの統一性も無く、置いてあった。
彼らは無造作に腰掛け、それぞれ好きな事を始めた。
僕も、適当な所に腰掛け、傍にあった本を開いた。
万博のパンフレットだった。
僕は、万博による経済効果、メリット・デメリットを考えた。警備の配置、過激派による暴動や対策・・・。
「それさあ、すっげぇ人数が来たんだってさ。この町の人口の何倍も来たって」
「何倍どころじゃないだろ。10倍とか、100倍とか・・・」
「いいかげんだなぁ」
「とにかく、そんだけ人が集まるくらい面白かったって事さ」
「君、万博、行ったの?」
「まあね」
「へぇ・・・」
「感心する事ないって。こいつ、すぐ自慢すんだから」
「って言っても、このことしか自慢しないけどね」
「他に自慢することがないから」
僕らは大きな声で笑いそうになり、顔を見合わせ、笑いを堪えクスクスと笑った。
「横井君、大丈夫だった?」
「え?何が?」
「そうだった、お前、キレイ好きだろ、ここ、かなりヤバイんじゃない?」
「汚いもん、ここ。俺達は平気だけど」
「うん、大丈夫、すぐ慣れたよ。それに、僕は別に綺麗好きじゃないから」
「ええ?だって、よく、なんかキレイにしてる姿、見るぞ」
「ああ、うん・・・」
「キレイ好きなら、ここに入れないよな・・・」
そう言いつつ、藤沢君が自然な動作で煙草に火をつける。
「それ、それと同じだよ」
「え?何?」
「煙草と同じ。藤沢君、今、無意識に煙草に火をつけたでしょう?」
「あ、これ?う〜ん、無意識ってより、クセ、かなあ」
「藤沢は、ここに入ると、タバコ吸うのが日課だモンな」
「そうそう、吸うのはここだけだから」
「僕の綺麗好きも、似たようなものだよ。気が付くと、日課の様に綺麗にしている」
「ふ〜ん。じゃ、別に汚くても平気?」
「良かったな。ここに出入りできるじゃん」
「クセで、ここの大掃除を始めたりして」
また、爆笑しそうになった僕らは、笑いを堪えるのが大変だった。
たぶん僕は、ここの掃除はしないだろう。
居心地の良さそうな、この場所だから。
こんな風に、友達と付き合うのは初めてだった。
私立小学校は校区なんて関係無い、様々な地域、かなり遠くから通う者もいた。
だから、放課後に一緒に遊ぶ事なんて無かった。
いや、家が離れているだけでは無く、それぞれ習い事や塾も忙しかったのだ。
僕は、ここで、世間一般にいわれる「子供らしい子供」の生活をおくる事になった。
親しくするうちに、彼らは、見えない微細な微妙な距離を保っていることに、僕は気が付いた。
「なんでも話し、どんな思いも共有」しているわけではなかった。
藤沢君は、家族の話はほとんどしなかった。
そして、だれも無理に家族の話を聞き出そうとはしなかった。
九重君は、僕らの”輪”から、時々いなくなった。
それについて、誰も何も言わなかった。
教えてくれそうにないので、僕も聞かなかった。
佐々木君は、心ここにあらずという時がある。
それは、僕だけが気がついているのかもしれない。
何か、ベール越しに物事を見ているような、違う次元に居るようにも見える。
僕はと言うと・・・
多少、気になる部分はあるが、すっかりこの状況が気にいっていた。
放課後の秘密基地。下らない事で笑って楽しめる仲間。
僕だって、彼らに何もかも話せるわけじゃない。
そう、数ヵ月でここからいなくなる事は言えなかった。
元の生活に戻ったら、また、友達と遊ぶなんて出来なくなる。
校内で行動を供にする友人くらいはいた。
だが、今のように、ただただ何も考えずに遊べる放課後なんて無かった。
父の仕事に区切りが付いたら、街に戻る事になっていた。
戻るといっても同じ学校ではない。
私立中学や進学塾・・・僕の将来を考えた場所に家が用意される。
小学校の残り1年と数ヵ月、公立学校に通いながらの中学受験。
ハッキリ言って、厳しいだろう。だが、それも経験だと父は言いきる。
高校や大学の時は、また、別に考えるのだろう。
勿論、父の職場との距離も考えなくてはいけないので、簡単に決まらないだろが、母は、日々それに奔走している。
父が忙しいのはいつもの事。
ここに来てから母も忙しい。
躾に厳しい祖母は、ここにはいない。
だから僕は、今、ほんの数ヶ月の「子供らしく遊べる期間」を楽しむ事にしたのだ。
たぶん、学力は落ちるだろう。遅れを取り戻すのに相当苦労するだろう。
彼らと仲良くならなければ、きっと僕は、この田舎でも遊びを覚えず参考書と格闘していたはず。
初めて出来た”本当の友達”だった。
きっとこの関係が”親友”なのだろうと思った。
微妙な距離は、友達であり続ける為の距離と礼儀だと思った。
だが、
その幸せは、束の間だった。
その時、僕は九重君と階段を上っていた。
階段の踊り場に、同じクラスのヤツらが立ちふさがった。
九重君が取り囲まれる。僕には見向きもしない。
ヤツらは、九重君からキャラクター消しゴムや金を巻き上げた。
「やめろ!」
僕は、とっさに飛び出し、九重君とヤツらの間に割って入る。
九重君が、時々いなくなるのは、こいつらに呼ばれていたからか!
「何だ、お前」
「それを、九重君に返せ」
「転校生のクセに、口を出す気か?」
「恐喝はやめろ。犯罪行為だ」
「うるさいなあ。俺らと九重は友達なの。だからこれは借りただけ」
「嘘だ」
「今度はウソつき呼ばわりかよ」
「こんな風にするのは友達なんかじゃない」
「うるさいって言ってるだろ!なあ、九重、俺ら、友達だよなあ?」
九重君のほうを振り返った。
彼は、ややうつむいたまま黙っている。
「ほら、見ろ。ちがうって言わないだろ」
「否定もしていないけど、肯定もしていない!」
「なんだよ。ちょっとむずかしい言葉知ってるからって生意気なんだよ!」
僕が返事をする前に、ヤツらは僕を羽交い締めにし襟首を締め上げた。
多勢に無勢だ。抵抗のしようが無い。
九重君はすっかり萎縮して、うつむいたまま目をそらしている。
その時、階段の向こうに、佐々木君と藤沢君が通りかかった。
(助けて)
僕はそう言ったつもりだったけど、喉を圧迫されていて声が上手く出なかった。
でも、佐々木君と藤沢君と、目があった。
助かった、と思った。
助かった、と。
だがしかし、彼らは立ち止まったまま、そこから動かなかった。
ヤツらはそれを一瞥し、わざと口を歪めて笑った。
僕は、全てを悟った。
そして、目の前が、溶暗して行くような錯覚に捕らわれた・・・。
:
:
:
九重君が、誰にも言わなかったのは、友達を巻込みたくなかったのか?
それとも、言った事によりもっとヒドイ目にあうのを恐れたのか?
佐々木君・藤沢君が、助けに入ったり、かばったりしなかったのは、余計な事をして今以上に九重君がヒドイ目に会うことを恐れたのか?
それとも、自分達まで虐められるのが恐かったのか?
ヤツらは3人。
彼らは僕も入れて4人だった。
なぜ、立ち向かおうとしなかったのだ?
僕は、とっさに飛び出していたのに。
彼らは、ただ、傍観していた。
僕は、もう、今までのように放課後を過ごせないと思った。
彼らは、九重君の置かれている状況を知っていて、ああやって放課後を過ごせていたのか?
僕は、どうして良いのか解からなくなった。
解からないまま、始業ベルが鳴り、「後でゆっくりと話をつけようや」と捨て台詞を残しヤツらは走って行った。九重君も、佐々木君も、藤沢君も、いつのまにか教室へ戻っていた。
そして・・・
給食費盗難事件が起きた。
放課後。
僕はヤツらに取り囲まれ、体育館の裏に連れて行かれた。
ヤツらは楽しそうに、僕を連れて行く。まるで仲が良い友達のように。
そうか、こうやって、九重君を虐めていたんだ。
その九重君も、ヤツらに促され、ついて来ていた。
「おい、お前だろう?給食費を盗んだのは?」
「違う」
「お前しかいないんだよ!階段での仕返しのつもりか?」
「じゃあ、あれはやっぱり、イジメなんだな?」
「イジメじゃねェよ、な、九重」
「・・・」
九重君は黙っていた。
うつむいたままで。
「そうだ、九重と俺らが友達だって証拠、見せてやるよ」
「何を・・・」
「だまれ、転校生」
ヤツらの代表格の熊沢が、顎で何かを合図する。
九重君の手が、肩が、僅かに震えている。
もう1度、(やれ!殴れ!)と、無言で合図をする。
(やめろ、九重、やめるんだ。そいつらのいう事を聞くな!!達也、やめろ!!)
うつむいたまま、九重は、僕の前に出てきた。
そして目をつぶり、僕を突き飛ばした。
その後は、誰に殴られ誰に蹴られ誰に踏みつけられたか、僕は良く解からなかった。
目の前は白く溶暗している。白い闇などあるのだろうか?それでも、僕は、白く溶暗していくと感じていた。ヤツらと九重のずっと向こうに、体育館の壁の影に、逆光でぼやけている人影がある。
きっと、佐々木と藤沢だろう。
いったい、何をしに来たのだ?
助けるでもなく、誰か人を呼ぶわけでもない、ただ、見ている・・・。
彼らは、ただ、ただ見ている。
時が、事が、過ぎるのを、ただ傍観しているだけなのか?
蹴飛ばされ、転がされ、地面で体を丸く縮めた僕の視界が変わった。
霞んで見える目の前は、体育館の壁。
壁と地面の境目。
小さな嵌め殺しの窓。
ああ、これは、あの秘密基地の明かり取りの窓だ・・・。
僕は、抵抗出来なかった。
抵抗してもそれは抵抗にならなかっただろう。
僕は抵抗の仕方も、喧嘩の仕方も、知らないのだから。
気が付いた時、誰もいなかった。
始終、顔を背けていた九重の表情は解からなかった。
もしかしたら泣いていたかもしれない。
でもそれは、推測に過ぎない。
泣きたいのは、僕だ。
腕が、血まみれだった。
僕は、その血まみれの手で、ハンカチを取り出し服の泥を払っていた・・・。
それ以降、イジメのターゲットは僕に変わった。
佐々木は相変わらず、心ここにあらずといった感じで、見えないベール越しに僕の虐められている姿を見ている。ゲームかテレビの中の世界を見てるように。いつまで、現実を直視しないでいるんだ?
藤沢は、何があったのか知らないが、辛気臭い表情だ。ゲーム屋から出てくる表情は幸せそうだったのにね。僕は気が付いてるよ。君の家はあまり裕福じゃなくて、君が家で孤独だって事も。そして君が給食費を盗んだ事も。煙草も、どこかから持ってきてるのかな?
九重・・・、君は本当にヤツらと友達になって、僕を虐めているのか?命令されてるだけ?どっちにしても、最低だよ、君は。それで、楽しいのか?達也。それとも悲劇の主人公にでもなったつもり?自分の事を哀れんでいるのかい?
誰とも口を利かないまま、日々が過ぎて行く。
僕は、気が付くと、何かを拭いていた。
一人で過ごす休み時間。昼休みも放課後も。
時折、ヤツらに因縁をつけられる。それを無表情で自然災害だと思ってかわす。
僕はヒマを持て余し、蟻を潰した。
クワガタの足を毟ってみた。
少しも楽しくない。
雑草を引っこ抜く。
やっぱり楽しくないな。
ああ、ほら、手が汚れてる。
そう思うより先にハンカチで拭っている。
こんなに退屈なら、参考書の1つでも持ってきたい所だが・・・
ヤツらに取られて汚されるのはイヤだ。
クラスの者も、他のクラスの者も、僕の事を見て見ぬ振りをする。
大人達はまったく気が付かない。
ヤツらが巧妙で陰湿なだけじゃない。
大人も面倒な事は嫌いなのだろう。
だから、気がつかない振りをする。
いや、気付く前に、その思考さえ止めて目をそらすのかもしれない。
そして僕自身も、それを大人達に悟られないように振舞う。
だって、僕は、品行方正、成績優秀な優等生でなければならないから。
僕の右腕の怪我も、転んでガラスで切った事になっている。
おかしいなあ、どこで狂ったのだろう。
予定では、田舎で学力が下がるだけの日々を過ごすはずだった。
それが、予定変更になり、子供らしい子供を満喫していた。
それも長く続かず、今、こうしている。
退屈なまま、虐められたまま、一学期が終った。
成績は当然のごとく、学年トップだ。
だが、この学校内でトップでも、意味が無い。
夏休みに入ってすぐ、母は、良い物件を手に入れていた。
口煩い祖母も一緒に住めるという。
父の仕事も、区切りが付くらしい。
これは、後から解かった事だが、父のこの時の任務は、この町の財閥傘下の炭坑を閉山させる為の準備調査だった。採算、稼働率、準備期間、準備事項、補償、再就職、再雇用、転勤、再利用、退職金、搬出、廃棄、売却、償却・・・。なんの問題もなく、スムーズに閉山の方向に持って行く。その計画を立てるための調査だったらしい。
町によっては、炭坑に代わる新たな事業を置くこともある。
そのまま、炭坑と運命を供にさせる町もある。
この町が何年かけて閉山して、その後どうなるのか、僕は興味が無かった。
僕はなんの未練も無く、この町を去る。
やっと、新たな生活が始まる。
厳格な父と、躾に厳しい祖母、それに従う良妻賢母の母。
そして、品行方正、成績優秀な僕で。
ああ、そうだ。
街に帰ったら、塾だけじゃなくて、体も鍛えよう。
二度と、同じ思いをしたくないから。
喧嘩の仕方も覚えておこう・・・。
僕は、あの町で、大事な物を手に入れ、そしてすぐに失ってしまった。
大事な物を思い出すと、胸が熱くなる。
あの時の、ドキドキわくわくした気持ちは、一生忘れないだろう。
あんなに楽しい放課後は、一生経験できないだろう。
気兼ねも遠慮も無く、好きな事を好きなようにした空間。
まったくの他人だったはずなのに、一緒にいても違和感を感じなかった。
会話が途切れても気まずくならない、一緒にいるのが当たり前のような関係だった。
ずっとずっと昔から、僕らは一緒にいたような、そんな感覚だった。
僕は、彼らが大好きだった。
こんな気持ちは初めてだった。
初めてそう思える友達だった。
きっと、これから先、彼ら以上の友達など出来ないだろう。
一生で、最初で最後の、本当の友達。
意識していなかったけど、彼らの事を、1つも疑っていなかった。
そう、何もかもを、無条件で、信じていた・・・。
話さない事、話せない事、言えない事、言わない事、全てひっくるめて疑っていなかった。
まるで夢のような、楽しい一時だった。
あれは、本当の事だったのか?
本当だ・・・証拠がある。
僕の右腕に。
九重に、ヤツらに、付けられた。
あの町の出来事が全て本当だという証拠が。
右腕が痛い、低気圧が来るのか?
頭が酷く痛い。彼らを思い出すと、懐かしくて胸が熱く苦しくて、そして頭痛がする。
僕は一生忘れないだろう。
この胸の苦しさと、激しい頭痛。
いとおしい思い出と、忌まわしい思い出。
大好きだった友達と、大嫌いになってしまった友達。
一目で魅了された秘密基地と、二度と見たく無い体育館裏。
秘密基地の小さな明かり取りの窓と、体育館裏壁の地面近くの嵌め殺しの窓。
僕は、それを忘れないだろう。
ああ、まただ。
僕は、気が付くと、何かを拭いている・・・。
どこも汚れていない。拭く必要なんて無い。
なのに、何故、僕はすぐに、何かを拭いてしまうのだろう?
何を綺麗にしたい?何を消したいのだ?何が汚れているんだ?
何も、何も汚れてなんかいない。
見えない汚れ?
それは、僕の内側か?
僕は、汚れてない!汚れていないはずだ!
汚れているのは何?
汚れているのは、どこ?
僕は、いつだって正しい。
だから、汚れていない。
汚れているのは・・・、正しくないのは・・・、誰だ?
終り
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