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99パーセントの忘却

映画『river』の登場人物・藤沢聡。
管理人の思い込みで
藤沢の抱えるモノを想像し、ここに記す。

*注意*
かなり長い文章になっています。
映画『river』を、これから見る人、は読まないほうが良いです。
物語のネタバレだけではなく、偏った先入観に囚われるかもしれません。
以上、御了承下さい。
御了承できなければ、申し訳ありませんがお帰り下さい。ゴメンナサイ。

  
 ずっと、さがしていた。
 やっと、みつけることが、できた。
 なのに、それはもう、なくなってしまった。
 なくなったものは、もう、にどと、もどってこない・・・。
 そうだ、わすれてしまえばいいんだ。なにもかも、なにもかも・・・。

 藤沢聡は、明日、結婚式だった。
 花嫁のいない、ひとりっきりの結婚式・・・。
 死んでしまった婚約者。通り魔に殺された婚約者。

 「俺の、たった一人の・・・」

 藤沢は、一人でいたいような、いたくないような、落ち着かない気持ちのまま外に出た。

 「いらっしゃいませ・・・」
 「・・・どうも」

 どこをどう歩いてきたのか、藤沢は小さな店に辿り着いていた。
 店内には、赤みがかった黄色い花の絵が飾ってある。
 額縁の中いっぱいに広がる、一面の黄色い花畑・・・。
 タイトルは「蝦夷萱草」と書いてある。

 「しばらくぶりですね。もう、二度と来ないと思っていましたよ」
 「ああ、俺も、来ることはないと思っていた・・・」
 「何かあったみたいですね・・・」
 「・・・うん、まあ・・・」

 口篭もる藤沢に、女店主は無言でグラスを差し出す。

 「・・・ありがとう。・・・あ、覚えてたんだ。俺がいつも飲んでたヤツ」
 「どういたしまして」

 ここは藤沢が、昔、良く通っていた店だった。
 小さな看板に描かれたエゾカンゾウの花の絵と『忘憂』の店名に惹かれて入ったのがきっかけだった。

 名前の通り、ここは、憂いを忘れる場所だった。
 女店主は客を慰めることも、宥めることもしない。
 ただ、そうですね、それは辛いですね、と相づちをうってくれる。
 藤沢や、他の客にとって、そういう場所だった。


 藤沢が、初めてこの店に入ったのは、何年か前の、1月中旬だった。

 「いらっしゃいませ」
 「・・・あ、どうも」
 「お客さん、こちらは初めてですか?」
 「ええ、まあ・・・」

 藤沢は、季節外れの黄色い花に目を止めた。
 花といっても、額の中の花だが、額の中一面の黄色い花畑に目を奪われる。

 「それ、なんて書いてあるの?」
 「エゾカンゾウ」
 「エゾカンゾウ?」
 「そう、もしかしたら漢字が間違ってるかもしれないけど」
 「?・・・その絵を買った時についてたタイトルじゃないの?」
 「・・・私が描いたんです。この『蝦夷萱草』は」
 「へえ、ママが描いたんだ」
 「店長って呼んでくれると嬉しいです」
 「え、ああ、・・・店長が描いたんだ」
 「どこか雑でしょう?」
 「そんなこと・・・」

 藤沢に絵の良し悪しは、良く解からなかった。
 ただ、黄色い色に惹かれた。

 しばらく、絵を眺めながら酒を飲んでいた。
 客は、他に数人いたが、皆、無言で飲んでいた。
 客の一人が、女店主に話しかける。

 「ねえ、店長、この間さ、成人式があったろう?いや、俺じゃなくてさ、俺は、その、会場の警備っていうの?それをやったんだけどさあ」
 「へえ、警備ですか?今の子達って変な所が無気力で、変な所で元気だから、大変だったでしょう?」
 「まあ、ね。あれじゃあ、小学校の卒業式の方がリッパだよ」
 「あら、そうなんですか?」
 「だってさあ、校長先生の話しの途中で、歌い出すヤツなんているかい?ステージに飛び乗ってマイク取っちまうヤツいるかい?」
 「普通、いないですね」
 「ンなことやるんだぜ、小学生以下だぜ。俺の時も友達と盛り上がって騒がしかったけど、あれほど酷くはなかったなあ」
 「そうですね、それは校長先生・・・じゃなくて町長さんや市長さんがかわいそう」

 藤沢は、なんとなくその話しに耳を傾けていた。
 そして、自分の成人式の頃を思い出していた。
 あまり、良い思い出の無い成人式を・・・。

 「店長は、どんな成人式だったの?」
 「私は、ごく普通の成人式でしたよ」
 「振袖とか、女は準備に大変だよね?」
 「本当はね、成人式に行く気は無かったんだけど、その時の職場がわざわざ休みをくれるって言うんです、成人式だろうって。着物を着るのは面倒だなあと思ったけど、親に振袖姿を見せるのも子供の務めかなと思い直して、自分で稼いだお金で着物をレンタルで借りました。親がお金を出してやるって言うのに自分で。何か、意地を張ってたんでしょうね・・・」
 「ふ〜ん。でもさ、娘の着物姿なんて、父親は喜ぶよね。まあ、照れて素直にならない父親もいるだろうけど。店長の親父さんはどうだった?」
 「・・・順番に話しますね。多分、美容院に着付けに一人で行きました。美容師さんとしか会話していない記憶があるので、きっと一人で行ったんですね。会場では友達に会いましたが、みな、買ってもらった着物でした。何十万円も勿体無いなあと思いました」
 「うんうん、勿体無い。それだけあったら違う事に使いたいな」
 「慣れない着物で、どうしても遅れて歩く私に、友達がこう言いました」
 「なんて言ったの?」
 「『歩き慣れてないけど、まさか、初めて着物を着たわけじゃないよね?』と」
 「ええ?なにそれ?着物も草履も着慣れてるわけ?その友達は?」
 「さあ。私は無いと言ったら、七五三で着ていないのかって」
 「チョット待ってよ、七五三なんてガキの頃じゃん、その時に着たからって歩けるかい?」
 「でしょう?可笑しな子でしょう?でも、もっと可笑しなことがあるの。私、七五三の記憶がないんです」
 「そりゃあ、ガキの頃のことだもの、忘れてたって可笑しくないよ」
 「そういう写真も見たことが無かったので、後で、母に聞いたら『お金が無かったから七五三はしていない』って」
 「じゃ、正真証明の初着物・・・。じゃ、じゃあ親父さんは喜んだでしょう?」
 「見てないんです・・・」
 「へ?」
 「夜勤明けだったか、それとも疲れていたか忘れたけど、布団から出てこなくて・・・」
 「ええ?」
 「着物を着たまま家に帰って、父に見せてから脱ぐつもりだったけど、『眠い』とか『いい』とか返事をされて、結局見せないまま脱いじゃいました」
 「なんだよそれ、すっごい照れ屋ってことかなぁ、店長の親父さんは」
 「それは違います。だって、妹の成人式の時は美容院や会場・写真館の送り迎えもスナップ写真も、父と母でやってたみたいだもの」
 「・・・それは」
 「あ、ごめんなさい。変な話ししちゃって・・・」
 「いや、たまに、店長もさ、客に愚痴を押し付けて良いんじゃない」
 「すいません。そう言っていただけると、嬉しいです」

 藤沢は、少し離れた席から、その客の近くに移動した。

 「どうも」
 「え、ああ、どうも」
 「ねえ、店長、随分な話しだね。きょうだい差別かい?」

 藤沢は少し酔っていたようだった。他人の話に割って入るなんて珍しかった。

 「仕方がないんです。私はシッカリ者で、放っておいても一人でなんでもやってしまうけど、妹は、その・・・『バカな子ほど可愛い』の典型なんです。それに、成人式の送り迎えを私の彼がしてくれたので、それも父は面白くなかったのかもしれません。彼の事は、良く思っていなかったみたいですし」
 「にしても、酷い、ヒドイよ・・・」
 「おいおい、あんた、酔ってるね。って俺も酔ってるけどさあ、そりゃヒドイよなあ」
 「そうそう。ヒドイよ。店長がかわいそうだ」
 「もう、その話は止めましょう。もう、ずいぶん昔の事だし。両親は、私の結婚する時や引っ越しする時には、何も言っていないのに援助してくれましたから」
 「え?金くれたの??」
 「典型的な日本人だなあ、手伝えないけど金は出すよ〜とか」
 「ま、そんなところです。さ、話題を変えましょう」
 「やだ、今度は俺の成人式の話だ」
 「なんだよあんた、自分のこと言いたくて、この席に来たのかい?」
 「そう、悪いか?」
 「ンなことはないよ、面白い話か?悲しい話か?俺も聞きたいね」

 女店主は、少し困った顔で、微笑んでいた。
 藤沢は、それをチラッと見て、少し姿勢を正した。

 「俺も、俺の親も、弟の方が大事だった。俺が成人式の頃、弟は高3で就職試験を何度も落ちていた。結局、就職をあきらめて専門学校に行ったんだけど、その最中の俺の成人式なんて、すっかり忘れられてたよ。別に、良いんだけどさ、別に」
 「ふ〜ん、あんたのとこも、やっぱりバカな子ほど可愛いってヤツかい?」
 「成人式を忘れたって良いんだ。俺も友達と騒いだだけで、別に、親にどうこうして欲しくなかったし・・・。ただ、その頃、親父は弟に言ったんだよ。良い職が見つからなかったら、いつまででも家にいていいって」
 「凄い親バカ」
 「なのに、その後の俺の就職活動の時は、なんて言ったと思う?」
 「想像つかないな」
 「『コネがないと入れない銀行は受けたくない』と俺が言ったら、『ワガママ言うな!』って叱られたよ」
 「銀行受けないのがワガママ?」
 「そう、銀行しか受けない、とか言ったらワガママだろうけど、俺は、銀行以外を受けたいって言ってるのに大喧嘩だ、それに、俺が行ってた学校から考えると銀行なんて受けるのがおかしい。情報処理系の勉強してたから、そっちの関係の職につきたいと思っていたし・・・。この後、些細な事で、親父と言い争う事が多くてさ」
 「家を出た?」
 「いや、もう、一人で暮らしてたけど、家とは疎遠になったよ」
 「ま、どこの家も一番上の子は大変だよ」
 「そうだな、・・・実は、今年、その総仕上げがあったんだ」
 「総仕上げぇ?」
 「ああ、それで気が沈んでアテもなくウロウロしてるうちに、ここに辿り着いたんだ」
 「何があった?」

 いつのまにか、藤沢の話に店中の客が耳をそばだててる。
 女店主も、手を止めて聞いていた。

 「忘れられた・・・」
 「え?」
 「今年の正月は、仕事の都合で実家に帰れなかったんだ。いつもは、時期をずらして帰ったりしたんだけど、今回は調整できなくて・・・。
 それは置いておいて、毎年、元旦に母親が電話をくれるんだけど、今年はこなかった。こないから何かあったかと思った。同時に、弟がいるのかもしれないと思った・・・」
 「家に弟がいたら変なのか?」
 「弟も家を出てるけど・・・。いつも、弟と鉢合わせないように俺はしてた」
 「なんで?」
 「逆恨みされてるから。オマエのせいで入院させられた、オマエなんて職場でイジメで殺されるって、弟から分厚い手紙を貰って以来、避けている」
 「なんだよ、それ」
 「弟は鬱病なんだ。今も通院中だが、おかしくなりはじめた頃に、俺は何度も親に連絡したのに『弟はどこもおかしくない!』の一点張りで取り合ってくれない。だが、とうとう親の手におえなくなってから電話がきて『どうしよう、助けて。実は何ヵ月も前から変で毎日電話して、頻繁に会いに行ってたんだ』だってさ。そして、俺に指示を仰いどいて、中途半端に行動して弟が失踪してさ、両親の手落ちなのに俺が悪いみたいな言い方されてさ・・・。偶然見つかった弟を入院させて、いろいろ手続きにも付き合ったけど、結局逆恨みされたよ」
 「なんて言って良いのか・・・。そりゃあ、大変だったな・・・」
 「で、なるべく会わない様にしてた。元旦は仕事の都合で行けない日が多いので、正月に母親から電話がきていた。それが今年は無し。何かあったら大変だとかけてみたら・・・弟が出たよ。両親とも元気だった。ただ、俺が帰れない理由もすっかり忘れていて、『2日から正月休み』なのに『明日から仕事かい?』と言われた。俺がした話なんて覚えていないんだ。俺の存在自体を忘れていたみたいだった。そう言えば去年は、俺の誕生日も何も連絡が来なかった。毎年うるさいくらい電話や荷物が来ていたのに・・・。居心地の悪い実家だったけど、とうとう帰れない実家になったようだ」
 「・・・」

 藤沢の隣りの男は黙り込んでしまった。
 それに変わるように、回りの客達から、次々と兄弟姉妹間の苦労話が飛び出した。
 中年男性、ニューハーフ、年齢不詳な女性・・・、と客層も様々なのに、何故か場が一体としていく。

 「なんだよ、兄ちゃんとこも大変だぁ。うちの話も聞くかぁ?
 うちもさ、きょうだいにいるんだ、その精神内科ってのに行ってるのがさ。逆恨み?されるね。俺だけがされれば良いさ。なのによぉ、俺の子供の事まで逆恨んでほしくねぇよ。『お前の子供は悪口で虐められるイジメで殺される』なんて言われてよぉ。デリケートな時期の子供には聞かせたくないし、俺の子に何かされるんじゃないかと思うと、会いたくないよなぁ。
 何かとそいつのことで両親に援助してきたけど、それをきっかけに疎遠になったよ。しかたがねえょ・・・俺は先ず自分の子供を守らなきゃいけない。きょうだいのほうは、甘やかして育てた両親に責任取ってもらうしかねぇよなあ。両方助けるなんて不器用な俺には無理だ。子供一人を守るので手一杯だ・・・。
 そう思ってきたけど、もうすっかり子供も大きくなって、親離れしていったよ・・・。なのに、まだ、兄弟は同じようなことを言ってるらしいよぉ」

 「あら、あたしのとこは、そんなに酷くないかしら。
 あたしなんてね、学校から帰ると、家に鍵がかかってて入れないの。他の家族みんなで買物に行ってるのよ、で、あたしの事なんか忘れてるみたいで、鍵の隠し場所にも鍵がないの。合い鍵を作ってくれって頼んでも無くすからダメだって。
 そしてお土産だって買ってくるものは・・・あたしの苦手な味の、ハッキリ言って嫌いな味のハンバーガー!あの味はダメだって言ってもすぐ忘れる。信じられない。あたしの好きな物、嫌いな物を家族みんが知らないなんてさ。
 え?いくつの時の話かって?う〜ん・・・。鍵をもらったのは高校の終り頃だから、その前の数年間、17歳くらいまで何年もそんな感じ。
 そうそう、あたしがこんな風でしょう?やあね、女に見えたぁ?その頃はオカマとか女男とか、あら?男女だったかしら、どっちでもいいわ、その頃はたまに虐められてたけど、まったく両親はそれに気がついていなくて、あたしの事なんて眼中に無かったのよね。他の兄弟の事ばっかりヒイキして、兄弟に何かあれば他所の家に『うちの子を虐めるな!』って怒鳴りこんだクセして、あたしの事は1つも気がついて無くてほったらかし。怒鳴りこまれるのもイヤだけどね」

 「ふ〜ん。みんな大変なんですね。私だけじゃなくてホッとしたって言っちゃいけないですね。私の話も聞きます?
 私、結婚準備中に家を追い出されたんですよ。寿退社の予定で、後を濁さない様に引継ぎやマニュアル作りに忙しかったんですけど。あ、ちょうどね、事務の仕事が手書きの書類からコンピューター中心に変わった時期だったんです。コンピューターのプログラムも変なところがある度に直してもらったり入れ替えたりで、まあ、とにかく面倒くさかった時なんです。それが一通り落ちついて、新しいマニュアルも作らないといけなかったんです。
 その時期に、下のきょうだいがですね、交通事故に遭って・・・車がちょっと当たって、軽い怪我で済んだんだけど、その加害者が私の小学校の同級生だったんです。数回一緒に遊んだくらいの仲なんですけど、もちろん、小学校卒業後の事なんて知りませんよ。でも、私の知り合いだって事で、父は私を責めるんです。『アイツはオマエの友達だろう?なんだアイツは!職場の上司と謝りに来るのは変だ!何故、親と一緒に来ない!!書類の手続きが遅くて損害賠償金が入ってこない!オマエが言ってやらないからダメなんだ!』とヤツ当たりするんです。
 で、私の住んでた地方は、高校卒業前に車の免許を取るのがあたりまえだったんですけど、きょうだいは『車が怖い』とか言って、卒業するまで取りに行かなかったんですけど、それも『オマエの友達のせい』とか言われて。そして、就職も決まっていなかったきょうだいは、やっと就職したんだけど、そこは『要普通免許』が条件だったのに、急に人手が足りなくなったので『自動車学校通学中』のきょうだいを雇ってしまったんです。それがですね、私の小学から高校まで一緒だった『音信不通状態の友達』がそこに居たんですよ。その人が急に辞める事になったので、私のきょうだいが急に雇われたんです。きょうだいは面接の時に、その人に会ったと言いました。
 そして、自動車学校に行く為に午前中しか出勤しないきょうだいは、職場で虐められて1ヵ月で辞めてしまって・・・。
 働きながら免許取るなら夜間の教習所に行けば良いですよね?何故、両親もきょうだいも昼間の自動車学校にしたのか疑問です。ま、私が数年前にその自動車学校に行ってたからなんでしょうけど。そんな所ばかり私のマネするんですよ。
 話は戻して・・・そこでまた父が、『オマエの友達が居たのに、どんな職場か調べなかったオマエのせいだ!!』って言うんです。私だって仕事は忙しいし結婚の準備もあるのに。『何が引継ぎだ!!仕事を辞めるなんて許してない!』って。私も頭に来て『音信不通で連絡先も解からない友達にどうやって聞けって言うのさ!』って言って大喧嘩になって『この家から出て行け!』『出てってやる!!』で、家、出ました・・・。
 癪なので、結納から神前の結婚式から何から何まで、全部、私と彼で用意してうちの両親をお客様のように呼びましたよ。もちろん、三つ指ついてお世話になりましたなんてしないし、泣きながら手紙を読む披露宴なんてのもしませんでしたけどね。両親もきょうだいも、一言も謝らないので、私も謝りませんでしたよ。謝らないと敷居を跨がせないとまで言われましたけどね。
 ああ、そうそう、免許をなかなか取りに行かなかったのは「車が怖い」からじゃなくて「実はイジメにあっていたので教習所や自動車学校でクラスメイトに会いたくなかった」ってのが真実だったみたいです。この後、きょうだいは、どこに行っても虐められて仕事が長続きしませんでした。これって、私のせいじゃないですよね?」

 そんな風に、客達は、次々と忘れてしまいたい事を吐き出していった。
 大人数兄弟の中で一番下だった人は、上の兄弟たちに食べ物を取られ、いつも空腹だった事を。
 家が貧乏で、子供ながらに欲しい物も欲しいと言えなかったのに、他のきょうだいはいつの間にかいろいろと買ってもらっていたり。
 兄弟ケンカをすれば、誰が悪いのか関係無く、いつも一番上の自分だけが叱られ、屋外に追い出されたり。

 話題は暗いのに、何故か、場は盛り上がっていった。
 そう、話す事によって、それを過去の笑い話にしようとしていた。
 藤沢も、いつしか、笑顔になっていた。
 人の不幸を笑っているのではなかった。
 自分の不幸を、笑い飛ばして忘れようとしていたのだった。


 もう、ここへは1年以上来ていなかった。
 初めて店に入ったあの日から、どれくらい通っただろうか。
 恋人ができて、やっと居場所を見つけた藤沢は、ここに来なくなった。
 その居場所が出来るまで、藤沢は、何かあると、自然にここに来ていたのに・・・。

 「また、忘れたい事が出来たんですか?」
 「・・・忘れたくない」
 「え?」
 「忘れろって言われても、・・・忘れられない、忘れたくないんだ」
 「そう、ですか・・・」

 女店主は、深く追求はしない。客が自分から話す時だけ聞くことにしている。
 藤沢も、深く追求して欲しくなかった。
 では、何故、ここに来てしまったのだろう。
 黄色い花の絵が、黄色い色が、目に染みる・・・。

 女店主が、そっと、言葉を紡ぐ。

 「忘れられないのなら、忘れたくないのなら・・・覚えていて良いんです。忘れなくて良いんです。それはとても辛い事かもしれないけど、忘れるのは、もっと辛いんでしょう?」
 「・・・店長」
 「私は、何もしてあげる事が出来ない。ただ、話を聞く事しか出来ない。でも、それでも良いと来てくださるお客様がいます。話したくないけど、ただ、ここに来てくださる方も、います」

 藤沢は、じっと女店主を見つめた。

 「好きなだけ、ここにいても、かまわないんですよ」
 「・・・ありがとう・・・」

 藤沢は、やっと気がついた。この場所が、この店が落ちつくのは、ここが、居場所の無い人達の『一時的な居場所』だったのだと。
 婚約者を亡くした藤沢は、同時に『居場所』も失い、ここに来てしまったのだ。
 欲しくて欲しくてやっと手に入れたモノ。
 それが欲しいとは気がつかないまま生きてきて、手に入れ、失い、そこで初めてそれが欲しかったモノだと気がついた。
 自分がココにいても良いという『居場所』
 婚約者の存在その物が、藤沢にとって、やっと見つけた『居場所』だった。
 無意識下で欲していたモノ。欲しくて欲しくて手に入れたモノ。

 欲しくて欲しくて手に入れた、モノ・・・。

 藤沢は、子供の事、欲しかった物を思い出してしまった。
 あんなに、欲しくて欲しくてたまらなくて、やっと手に入れたアレは、どうしただろう?

 「店長、俺、子供の頃、欲しかった物があったんだ」

 唐突な言葉にも、女店主は、優しく答える。

 「どんな物ですか?」
 「ゲームソフト」
 「テレビゲームの?」
 「そう。・・・俺、それが欲しくて、酷い事をして手に入れた。そこまでして手に入れたアレは、どこに行ってしまったのか解からない・・・。俺が酷い事をしたって、いつばれるかドキドキした。親にばれたらきっと叱られる、って、冷や冷やした。でも・・・」
 「でも?」
 「・・・喜んで良いんだろうか。親は、まったく、俺の様子がおかしい事にも、増えていたゲームソフトの事も、気にかける事は無かったんだ」
 「そう・・・」
 「・・・ある日、家に帰ると、両親と弟が家にいた。父は夜勤だとか言ってすぐ寝たけど、弟はゲームをしてた。その時の流行りのゲームだった。そのころ、うちはあまり裕福じゃないって知っていたから俺はゲームソフトが欲しいって言えなかったのに・・・、俺に一言も無く、三人で買いに行ってたんだよ」
 「そのソフトは・・・」
 「俺が欲しかったのとは違う物だ。母は、『二人の物だから仲良く使いなさい』と言ったが、俺は納得しなかった。何故、俺に何の相談もしない?俺にも一言ぐらい言ってくれれば良いのに。何故、俺だけ・・・」
 「それは、辛いですね・・・」
 「ああ、でも、子供だから、そんなことは学校に行ってしまえば忘れられた。仲間と一緒なら忘れられた。でも、その仲間がイジメにあって・・・きっと、それを助けたら俺も虐められて独りぼっちになる。家だけじゃなく学校までも独りぼっちになりたくなかった。俺は、仲間を助けなかった。でも、イジメグループ達には腹が立った。俺の事を、推薦して学級委員長にしたヤツらだ。・・・俺は気がついた時、イジメグループのうちの一人の給食費を盗んでいた」
 「お金を・・・」
 「そうだ。盗んだんだよ。給食費を落したとか無くしたとかで親に叱られれば良いと思った。でも、誰かが盗んだと言う話しになって・・・俺はビクビクした。でも、疑いは俺ではなくて、虐められている仲間に向いて、もっと酷いイジメにあったんだ・・・。なのに俺は・・・その金をテレビゲームに替えた。給食袋は捨てた。金は捨てられなくて・・・でも手元には残して置くのが怖くて・・・」
 「その頃、高かったでしょう?ゲームソフト」
 「ああ、大事に残していたお年玉と合わせて買った。俺の母親も、新しいゲームが家にあっても、お年玉の残りで買ったという言い訳を、気にもとめずに聞き流した」
 「お母さんは、値段を知らなかったって事は無いですよね」
 「一度、違うのを買いに行ってるから、だいたいいくらか解かるだろう?それを問い詰めないのは、俺がいくら金を持っているか、知らないんだ・・・。それだけ、俺に無関心なんだ。テストで良い点数取っても反応はイマイチ。成績が良くても何も言わない、下がれば言う。なのに弟はテストが悪くても叱られる事もなく成績は下がり続け、中学三年には金の無い家のはずなのに塾に行き始めたよ。それも毎日通っていた」
 「あの・・・、虐められていた仲間は?」
 「・・・誰も助けなかった。そのうち夏休みになって、二学期が始まる頃には、すでに転校していた。そんな思いをして手に入れてしまったゲームソフトは、あんなに欲しかったはずなのに、全てを忘れるようにあんなに熱中したはずなのに、・・・どこに行ってしまったか解からない。
 そして、転校して行った仲間も、どこに行ってしまったのか解からない。一緒に見て見ぬ振りをした仲間とも、虐めグループの言いなりになった仲間とも、気まずくなり、気がつけば俺達はバラバラになっていた」

 藤沢はうつむくのがイヤで、わざと顔を上に向ける。
 視界の端に黄色。
 目に痛いくらいの黄色。

 (あの時、俺は、せっかく手に入れた仲間を無くし、今度は婚約者を亡くした)

 婚約者の顔を思い出す。
 仲間の顔は、あまり思い出せない。
 くっきりはっきりと思い出すのは青い色。
 婚約者が遺体で見つかった時、着ていた青い服。
 虐められていた仲間が、着ていた青い服。青いハンカチ。

 「・・・99パーセントの忘却・・・」

 女店主は、唐突にそう言った。

 「99パーセントの?・・・」
 「以前、本で読んだんです。人間は99パーセント忘却で生きているって」
 「忘却・・・」
 「本って言ってもマンガの本ですけど、とても、その言葉が頭に残ってるんです。ストーリーはそんなに覚えていませんけど」
 「99パーセントの忘却って、どういう意味?」
 「人間は、起きる出来事の99パーセントを忘却して生きているって」
 「ふ〜ん・・・。忘れないと生きていけないってことかい?」
 「そんな意味です」
 「で、残りの1パーセントは?」
 「やっぱり気になります?あなたはどう思いますか?」
 「どうって言われても・・・」
 「残りの1パーセントは、正気か?狂気か?です」
 「正気か・・・狂気か・・・どっちかなの?」
 「ええ、本ではそう質問を投げかけて終っていました。私は・・・0.5づつ正気と狂気だと思いました」
 「半分づつの正気と狂気?」
 「両方あってバランスが取れるのかと・・・。狂気を押さえる正気。正気だけでは壊れてしまいそうなのを押さえる狂気・・・」
 「正気と狂気のバランス・・・」
 「本を読み終わった後、人間は都合の悪い事を忘れていって、そして、残りを狂気と正気で危ういバランスを取って生きていく。そういう生物なのかと思いました」

 藤沢は、黄色い花を見つめた。
 正気と狂気・・・。
 あの黄色は、忘却なのか、正気なのか、狂気なのか・・・。

 「俺は、気が付かないうちに、何かを忘却し続けているのかもしれない」
 「そうですね」
 「俺は・・・忘れたくない事まで忘れてしまうのだろうか」
 「それは、きっと、正気か狂気の中に残ると思います」
 「・・・どっちに残るのだろう」
 「さあ、それは、あなた次第かもしれません」
 「狂気には、したくない」
 「大事なら、ならないでしょう」
 「そうかな」
 「そうですよ、でも・・・」
 「でも?」
 「99パーセントの忘却説が正しいかどうか解かりません。忘れっぽい人の言い訳なのかもしれないし、ただのマンガだし・・・」
 「そうだな」

 藤沢は、また、黄色い花を見つめた。

 (この花・・・、そうだ、萱草の別名は『忘憂』だって、店長が言っていたはず・・・)

 その話を聞いた日の事を、藤沢は思い出していた・・・。


 この店に通い始めて数ヵ月。
 行こうという意識はなく、気がつくと、どこをどう歩いたのか解からないまま来ている。
 大抵、何かあって、どうにもやりきれない時に、来てしまっていた。

 「ねえ、店長。店の名前『忘憂』って、どうしてつけたの?」

 なんとなく、藤沢はそう質問していた。
 女店主も、さらっと答える。

 「萱草の別名が『忘憂』なんです。意味は良く解からないけど、『萱草』って名前の店よりは良いでしょう?」
 「カンゾウ・・・、あの絵のエゾカンゾウか。店長は本当にその花が好きなんだ」
 「好きって言うか・・・約束したので・・・」
 「約束?」
 「もう一度、満開のこの花を見に行く約束・・・」
 「ふ〜ん、で、その約束は果たされたの?」
 「・・・まだです。いつか、その日が来るのを、私はこうして待っています」
 「こうして?」
 「花の絵を見ながら、お客様のお話しを聞きながら、待っています」
 「ふ〜ん・・・、早く、来ると良いね」
 「その日が来たら、お店をたたむかもしれませんよ?」
 「それは・・・ちょっと寂しいな」

 (約束か・・・。俺はそんな約束はした事が無いな。恋人かな?店長が待っているのは・・・。でも、店長って、俺よりけっこう年上だよなぁ・・・。そう言えば、結婚してるって言わなかったっけ?でも、指輪が無い?バツイチなんだろうか、それとも、なにか理由があって外しているのか・・・。約束と関係あるのかな)

 藤沢がしている約束、というか約定は奨学金の返済くらいしかない。

 「俺の約束は、もうそろそろ終るよ」
 「え?」
 「奨学金で学校行ってたんだけど、その返済がやっと終るんだ
 「そうなんですか」
 「そう、うちは裕福じゃなかったから」
 「そうですか。完済、ご苦労様でした」
 「ありがとう」
 「店長も、早く約束の日が来ると良いね」
 「ありがとうございます」

 店長は遠い目で、黄色い花を見つめた・・・。


 (黄色い花を見に行く約束・・・。店長は、見に行って何をするんだろう・・・)

 藤沢は、絵を見つめたまま、店長に訊ねた。

 「ねえ、店長、前に話してくれた、黄色い花の約束だけどさ。見に行ってどうするの?」
 「え?」

 唐突な問いに、一瞬言葉が途切れる。

 「まだ、約束は、果たされてないんだよね?見に行ってどうするの?」
 「・・・見に行って何かをするとは約束していませんが」
 「ただ見に行くだけ?」
 「きっと、誰もいない道を、手をつないで歩くかもしれません」
 「手を、つなぐ?」
 「ええ、私・・・子供の頃、手をつないでもらった記憶が無いんです。覚えているのは、妹の手を引いている母。片手はカバン、片手は妹。私は父と手をつなごうとしたけど、父はどんどん歩いていってしまい、見失わない様に歩くのが精一杯。・・・もしかしたら、本当はちゃんと手をつながれた事があったかもしれない。でも、記憶に深く刻まれているのはその情景・・・」

 藤沢は、絵からグラスへ視線を移した。
 溶けかけた氷に、歪んだ色の自分が写っている。

 (俺も、似たような記憶があったな・・・)

 「だから、私、『手をつなぐ』のに抵抗があります。誰かに手をつなごうと言われても躊躇します。約束の人とも・・・ほとんど手をつないで歩いた事はありません」
 「手、か・・・」

 藤沢は、婚約者を思い出した。

 (そうだ、俺も、最初は手をつなぐのに戸惑った。でも、いつしか、自然に手をつなげるようになっていた・・・)

 藤沢は、手のひらを見つめた。
 溶けかけた氷の様に、その輪郭も歪んでいく。

 「俺は、手を引いてもらいたかった。ずっと手を引いて欲しかった。彼女が迷った時は、俺が手を引いてやりたかった・・・なのに、なのに、もう、いないんだ、どこにもいない、彼女は・・・彼女は・・・」

 店長は、藤沢の隣りの席に座り、そっと手を差し伸べた。
 差し出す手も、それを受ける手も、どこか、ぎこちなく、躊躇していた。

 「店長・・・」

 そっと、遠慮がちに、藤沢は手を重ねた。
 まるで、親子の様な、姉と弟の様な錯覚に落ちる。

 「彼女は?」
 「殺された。通り魔に。いや、その通り魔を見逃した警官に殺されたような物だ・・・通り魔も、警官も、俺は許せない」
 「・・・忘れられないの?」
 「彼女を、忘れることなんて出来ない」
 「そうじゃない。その恨みと復讐心を、忘れることは出来ないの?」
 「何を言っているんだ?店長?それを忘れて、彼女の事まで忘れろって言うのか?」
 「・・・そのマイナスの感情、時間がかかっても、忘れたほうが良い」
 「ダメなんだよ、どうしても忘れられないんだ・・・」
 「忘れましょう・・・」
 「ダメだ・・・」
 「人は、99パーセントの忘却で生きている。残りの1パーセントに彼女を・・・」
 「・・・」

 藤沢は、店長の手を握ったまま、意識が混濁していった・・・。



 気が付いたら、朝だった。それも自分の部屋・・・。
 一体どうやって帰ってきたのか、藤沢は解からなかった。

 (・・・ああ、そういえば、いつもこうだった。忘憂には気が付けば着いていて、気が付けば帰ってきていた)

 飲んでいる途中で眠ってしまった。
 その後のことを覚えていなかった。
 時計を見る。
 まだ、夜が明けて、それほど時間は経っていない。
 なのに長い時間眠ったような気がするのは、早い時間に帰ってきたということだろうか?
 しばらく、ぼんやりとしていたが、藤沢は重い身体を起こした。

 「今日は・・・結婚式だ」

 たった一人の結婚式の為に、藤沢は仕度をして出かける。
 たった一人のはずが、教会は、騒がしかった。
 結婚式の前に殺されてしまった花嫁。
 たった一人、残されてしまった花婿。
 だれも、花婿の顔は知らない。
 花婿の情報は公開されていない。

 藤沢は教会の中まで入ることが出来ず、広い敷地の隅に車を止めていた。
 教会の前は、テレビレポーターとカメラと多くの人が集まっている。
 そっと指輪を取りだし、呟く様に歌い、指輪をつける。
 ふたり分。左手の薬指と、隣りの小指に。

 誰にも、気付かれないうちに、そこを去る。

 車のダッシュボードに、一枚のハガキがあった。
 同窓会の招待状だった。
 気晴らしにでもと思い、出席の返事をしていた。
 が、気が進まなかった。
 小学校の同窓会だ。
 仲間を無くしてしまった、あの、小学校の・・・。
 会いたくないやつだっている・・・。
 ん?そういえば、あの三人のイジメグループは、事故か何かで死んだような・・・。
 いや、他のやつらにもあまり会いたくない、な・・・。

 (なぜ、出席の返事をしてしまったんだろう?そうだ、『忘憂』に行こう・・・。そして終わり頃に同窓会に行って、代金だけ払って『忘憂』に帰って来よう・・・)



 「おかしいな・・・」

 藤沢は、『忘憂』を探していたが、どこにも見つからなかった。

 「まだ、明るい時間だから無いってことないよな?」

 行こうとして探しても見つからない・・・。
 捜そうしとしていないのに辿り着く場所・・・。

 「なんだか、どこかの民話みたいだな・・・」

 山に迷った人の前に当然現れる『迷い家(マヨヒガ)』、居場所が無い藤沢が辿り着くそこは、本当に迷い家だったのか?と思い、その考えに苦笑する。

 「何を考えているんだ、俺は・・・、あ、シマッタ・・・」

 歩き回っているうちに、同窓会会場の前に来てしまっていた。
 入り口付近にいる男と目が合う。誰か解からない。
 解からないまま、中に招き入れられる。

 そして、彼らと、再会してしまった・・・。

 思いがけない誘い。 

 危険な、計画へと、流れて行く・・・。


 藤沢は、婚約者と、二人で歩いていた。
 人目を気にしながら、遠慮がちにつないだ手。
 藤沢は、『忘憂』のことなど、まったく頭に浮かばなかった。
 まるで、夢の様に、幸せで暖かい時間だった。

 夢の様に。

 あまりに幸せ過ぎて、不安がよぎる。

 「これは・・・、夢なのか?本当に現実なのか?」


 「ここは?俺は、いったい・・・」

 藤沢は、事態が飲みこめていなかった。
 長い、長い夢を見ていたような気がする。
 過去と、現在と、入り混じった長い夢を・・・。
 体と頭が重い。
 目覚めたのは車の中。
 見なれない車の助手席。
 ぼんやりと合わなかった焦点が、外の風景に徐々に合って行く。

 どこかの空き地なのか、雑草が生い茂っている。

 雑草の向こうに、何かが見える。

 藤沢は、既視感を覚えた。

 「俺は、ここを知っている、のか?」

 ゆっくりと身体を起こそうとするが、上手く体が動かない。
 自分の身体じゃないような、イヤな感じがした。
 遠くに何かが動いたような気がした。
 目線だけそちらに送る。

 何かを、見上げている男の後ろ姿。
 寂しげな背中に、見覚えがあった。
 やがて、迷いを吹っ切る様に、何かを決断した様に、歩き出す。
 その方向にあるものは、蔦におおわれた古びた校舎。

 「あ、あれは・・・豊陵小学校!?・・・そして、横井・・・」

 そう思った途端、血の気が引き、体が震えた。

 「何故、横井はこんな所に?この計画、横井は知らないはずじゃ・・・、誰かが知らせたのか?でも、偶然だって、偶然・・・じゃないのか?いったい、何がどうなっているんだ!?」

 藤沢は、必死に身体を動かし、外に出ようとした。

 「イヤだ、ここは、俺の居場所じゃない、ここは・・・」

 その時、どこからか、銃声が聞こえた。

 「ダメだ、ここにいてはダメだ・・・」

 なんとかドアを開けて、車外に落ちる。
 ドアに捕まり起きると、そのまま体重がかかったドアは閉まった。

 「どこかに、どこかに隠れないと・・・」

 何が何だか解からないが、身の危険を感じた藤沢は隠れる場所を探した。
 だが、回りに生い茂る雑草は、大人が上手く隠れられるほど伸びてはいなかった。

 「くそっ」

 不本意だが、校舎しか隠れ場所はなさそうだった・・・。



 「何だ?何故、こんな事が・・・」

 藤沢が逃げ込んだ教室は、壁に、児童が描いた絵が貼ったままになっていた。廃校になって10年の校舎に貼ってあるのは、それよりもっと古い物だった。

 子どもたちの肖像画・・・。

 「おかしい、おかしいよ、なんで、なんで、・・・俺は20年近く前に卒業したのに、どうして、俺達のクラスの絵が貼ってあるんだ!?」

 絵の中で、一際、目を引く物がある。
 肖像画に大きく書かれた×印。1、2、3・・・3枚ある。

 「林田・・・金沢・・・熊沢・・・、死んだやつらに、バツが・・・」

 教室を見渡す。
 前の黒板に目をやり、驚愕する。

 通常、絵を貼る所ではない黒板の中央に、3枚だけ貼られた絵。

 「何だよ、これは・・・、あいつなのか?あいつの仕業なのか!?」

 朦朧としながら、さっきの銃声を思い出す。
 何度も響いた銃声。
 人気の無い場所に待ち合わせたのは、佐々木、九重、藤沢・・・。
 貼られている絵は、佐々木、九重、藤沢の顔。

 三人を待つ”依頼人”は・・・

 「横井なのか?俺達を殺すのか?いや、もう、佐々木達は・・・」

 殺されたのかもしれない、さっきの銃声は、二人を殺した音なのかもしれない。
 そう思った時、遠くに足音が響いた。

 「・・・来る、・・・来るのか?」

 足音は、近づいて来るのか遠ざかって行くのか解からない音で響く。

 「まさか、この絵に、バツ印を付けに来るんじゃ・・・」

 携帯電話も繋がらない誰も来ない孤立した廃校に響く足音。
 思わず、ポケットの中の婚約指輪を握ろうとするが、入っているのは拳銃の弾。

 (なんだ?これは?銃弾?俺達の指輪は??)

 藤沢は、間違って佐々木のジャケットを持って、車から逃げたのを思い出す。

 (・・・佐々木の?まさか本物じゃないだろう?)

 その間も、足音は聞こえ続けていた。
 そして、この教室と、その音に、耐えきれず廊下に飛び出す。

 遠く、逆光の中に人影があった。

 (俺は、なんて、タイミング悪く飛び出したんだ!)

 人影はこちらを向いている。

 「藤沢君、みっけ」

 かくれんぼの鬼が隠れている子を見つけた時のような、楽しそうな声。
 表情は逆光で見えない。
 背中にまとった光は、白く輝く翼が羽ばたく様に広がっている。

 輝く翼の、子供の様に無邪気な声の・・・

 白い悪魔。

 もつれる足で必死に逃げる藤沢。後を追う横井。
 違う教室に逃げ込んだ藤沢は扉にバリケードを置く。
 後を追う横井はバリケードの無いもう一方の扉を開ける。
 ゆっくりと、教室に入る横井の手には銀色に鈍く光る拳銃。
 横井の後ろの壁には、しつこいくらいに並んだ『友情』の習字。

 (いやだ、殺されたくない、殺されたくない・・・、まだ、慶子の仇を、俺は取っていない・・・)

 この学校は取り壊され、町も合併して全てが無くなると、横井は語る。
 だが、そんな事は藤沢には関係の無い事だった。
 横井は言葉を続ける。

 「君は、学級委員長だったのに、酷いよなあ・・・」

 (酷いって、・・・ああ、そうだった、熊沢達にやられてケガをして病院に行った帰りのお前は、ゲームを買う俺の姿を見たんだった。給食費のことは、お前のせいにしたのは俺じゃない!俺だって盗んだ後に処分するのに困ったんだ。だから、だから、使って何が悪い?証拠を消して何が・・・)

 「忘れられないんだ、ここでの思い出」

 (忘れられない?俺は、ここの事なんて忘れていた。思い出さない様にしていた。だから、再会するまで横井の顔も・・・いや、佐々木や九重の顔も、良く覚えていなかった・・・。人間は99パーセントを忘却するんじゃなかったのか!?)

 「思い出す度に頭痛がした」

 (俺は、横井の事なんて、思い出さなかった・・・。忘れられないのは慶子の事ばかり。彼女の事を思い出すと・・・殺された事を思い出すと、どうしようもなく息苦しく・・・。この痛みは狂気なのか、正気なのか・・・)

 「ずっとだよ」

 そう言いつつ、薬瓶を取りだし、口に放りこむ。

 (ずっと・・・って、20年近くも、こいつは忘れられないで苦しんでいたって言うのか!?それは忘れられずに狂気になったのか?99パーセントの・・・忘却できなかった狂気?殺すのか?俺達を・・・?)

 「昔の事だろう?」

 (だから、そんな事は、さっさと忘れてしまえば良い、狂気になるくらいの過去なら忘却を・・・)

 そんな藤沢の言葉もおかまいなしに、銃を構え、横井は近づく。
 藤沢は尻餅をついたまま後ずさる。

 (そんな、昔の事で・・・、いや、横井にとっては・・・苦しみ続けた横井には、それは過去の出来事ではないのか?)

 横井の表情が僅かに変わる。

 「汚れている」
 「?」

 横井はおもむろにハンカチを取り出し、藤沢の額を拭う。
 子どもの頃の、まだ虐められる前の、優しい横井。
 そして、悪魔のような眼差しで、天使のように微笑む復讐鬼の横井。

 「うわあああ」

 横井に触れられた瞬間、2つのイメージが重なった。
 藤沢は反射的に立ち上がり、必死に逃げる。
 だが、真っ直ぐ走れる事は出来ず、腰を曲げたまま、よろけ転びながら逃げ、階段を転げ落ちる。

 踊り場から銃を構える横井。
 その姿は光を浴びてい白く光る悪魔。
 熊沢達が死んだ事を、運が無いと横井は語る。

 (そうか、あいつらの事も、お前の仕業か・・・。お前の復讐、・・・復讐?俺も復讐されている・・・復讐で殺されるのか・・・いやだ、俺はまだ・・・)

 白い光をまとった悪魔の姿が、子どもの頃の横井の姿に変わる。

 (幻覚?幻視?)

 少年姿の横井が、言う。

 「僕は、君達を許せない」
 「や、やめろ」
 「友達だったのに」

 銃声が響く。
 藤沢は、激しい痛みを腹部に感じた。

 「苦しいかい?腹を撃たれるのは、即死するより痛いんだって、君、知ってた?死因は何になると思う?ショック死、かな?あまりの痛みにショックで死亡するんだよ、君は」

 そう言い残し、横井は、のた打ち回る藤沢を悲しげに見つめた。
 そして、とどめは刺さずに立ち去る。

 藤沢の意識が混濁する。
 だが、激しい痛みに、意識が戻される。
 気絶する事も出来ず、もがき苦しむ。
 横井の遠ざかる足音が頭のどこかに聞こえる。
 やがて、それは違う音に変わる。

 (・・・なんだ、この音は・・・そうだ、ボールだ・・・体育館か?横井がボールを投げているのか・・・なんで、まだいるんだ?俺達を殺して、その上、何をして・・・)

 とどめを刺さず放置して、それでも、完全に死んだのを確認する為にここに残っているのか?

 そう思った時、どこからか違う足音が聞こえた。

 (誰だ?まだ、誰かいるのか?そいつも・・・横井に殺されるのか?佐々木と九重、どっちかか?)

 藤沢は、痛みに耐え、這い始める。

 (ダメだ、俺は、まだ死ねない・・・横井が復讐するように、俺も復讐しなければいけなかった・・・慶子を殺したヤツを見つけて復讐したかった・・・)

 ボールの音が止む。
 そして銃声。連続で何度も響く。
 腹部を真っ赤に染めた藤沢が、壁につかまり寄りかかり体育館へ向かう。

 (・・・これ以上、横井の好きにさせるものか。誰を殺そうとしてるか知らないが、ジャマをしてやる・・・俺なんか、復讐も出来ないまま、こんな事になっているのに・・・すべて思い通りになると思うな!)

 目と鼻の先に入り口が現れた時、体育館が静かになった。

 (終ったのか?もう、終わってしまったのか?くそう・・・)

 開いたままの扉から、会話が聞こえた。

 「撃てないだろう、君。そうやって、あの事件の時も犯人を取り逃がしたんだろう?」

 藤沢は驚愕した。

 (あの事件?犯人を取り逃がした?撃てない?何を言っているんだ・・・まさか、まさか・・・)

 やっと出入口にたどり着き、中を覗く。
 銃を持ったまま、両手を上げている横井。
 銃を構えているのに撃たない佐々木の姿も見える。

 (佐々木?なんで、佐々木まで銃を持っている?)

 「君は誰も救えない、そう言う人間だ。哀れだよ」

 (誰も救えないって?犯人を取り逃がしたっていうのは佐々木なのか?まさか、事件って・・・あの事件なのか!?)

 佐々木は何も答えない。答えられない。
 藤沢は混乱した。混乱しながらも、側に落ちていたボールを拾う。

 (佐々木の事は、後回しだ・・・まず、横井の邪魔をする。このまま、復讐を成就させてたまるか!)

 「君も友達がいなかったんだね」

 そう言う横井の背中が、酷く悲しげに感じ、藤沢は一瞬、躊躇する。
 だが、ゆっくりと銃を構え始める横井に、心を決める。

 (そうだ、俺達は・・・友達だった・・・大事な、大切な友達だった・・・なのに、なんだ、この今の俺達は・・・俺は、なんなんだ!)

 今、出せる力の全てを込め、ボールを投げる。
 その渾身の一投は、横井の肩に当たる。
 藤沢はそのまま倒れこみ、顔だけ上げて前を見た。
 横井が、慌てている。
 ボールが当てられ事よりも、それで上着が汚れてしまった事に注意が向いた。

 (そうだ、こいつは、昔から神経質に汚れを気に・・・)

 横井の気がそれた瞬間、佐々木が跳びかかる。
 もつれ合い、転がる二人。
 横井の銃が落ち、転がる。
 拾おうと、必死になる藤沢。
 佐々木を殴り銃を奪う横井。

 倒れた佐々木を無視し、藤沢の頭に銃を突きつける横井。
 般若の形相で痛みに耐え這いつくばって、後少しで拳銃を構えられるところだった藤沢の動きが止る。

 (横井・・・、こいつ、佐々木と揉み合いながら、俺の動きを見ていたのか!?くそうっ!)

 「やめろ!」

 佐々木の声が響く。
 もう、横井は止らない。

 ガチャッ。

 「!?」

 横井は引き金を引いたが、音だけが虚しく響く『弾の入っていない拳銃』。

 (・・・そうか、横井の持っている佐々木の銃には弾が入っていないんだ。その弾は、今、俺のポケットの中・・・)

 動揺して取り乱し何度も無駄な引き金を引く横井を、藤沢は撃った。

 それは、一瞬の出来事。

 弾は、横井の脇腹を貫通。
 横井が倒れる。
 藤沢も倒れる。

 (くそっ・・・、銃を撃つと、こんなに衝撃があるなんて・・・、横井は平気な顔で撃っているのに・・・)

 やっと立ちあがった佐々木が、自分の拳銃を横井の手から取り上げる。
 意識が無いのか、まったく無抵抗の横井はピクリともしない。
 拳銃を、床を滑らし遠ざける。
 それは、藤沢の近くに届く。

 藤沢は、慎重に興奮を押さえ、佐々木に問う。
 佐々木は、警察官だと言った。
 拳銃には弾が入っていないという。

 本当に聞きたい事を、やっと訊く。

 「さっき、こいつが言っていた・・・」
 「知っているだろう?マスコミに大きく叩かれた・・・」

 (・・・慶子。・・・やっと、やっと見つけたよ、お前を見殺しにしたヤツを!)

 どこか遠くの出来事の様に、
 どこか他人事の様に、
 どこかに心が抜けてしまったかの様に、
 佐々木が力なく呟く。

 「俺が殺したようなものだ・・・」

 藤沢は、いつのまにか、佐々木の拳銃を拾っていた。
 立ちあがり、ポケットの中から、弾を2つ取り出す。

 (俺の分、慶子の分・・・)

 藤沢には、それは、拳銃の弾ではなく、二人の婚約指輪に見えた。

 (慶子を守れなかった拳銃で、復讐を)

 「お前だったのか」

 藤沢は、そう言い、佐々木に銃を向けた。
 慌てて立ちあがった佐々木を、横井が羽交い締めにした。
 まるで横井は、息を殺し、このチャンスを待っていたかのようだった。

 佐々木に代わり、横井が答える。

 「そうだ、こいつだ。こいつが通り魔を逃がしたんだ!」

 佐々木の顔が、困惑したまま、恐怖に怯える顔になる。

 (お前さえ、銃を使えば・・・慶子は助かった)

 横井が、凶悪な笑顔を浮かべる。

 「そうだ、藤沢、こいつは、誰も助けられない、今も昔も、誰の事も助けられない、ただ、見てるだけしか出来ない・・・。そうやって、見殺しにした」

 横井の言葉に後押しされるまでも無く、藤沢は指に力を込めた。

 一発、ニ発。

 静寂が訪れた時、三人とも、床に倒れていた。

 (佐々木は、どうなった?横井は・・・)

 横たわったままの藤沢は、視線を巡らそうとしたが、もう、それさえも出来なかった。

 微かな衣擦れの音・・・。

 「佐々木君、気分はどう?見殺しにした被害者と同じ気分を味わえた?もう、聞こえていないのかな・・・面白いくらいに同じだったろう?ただ違うのは、藤沢君も俺も、君を狙ってたって事かな」

 佐々木は返事をしない。

 「藤沢君?聞こえてる?」

 藤沢も、返事を出来る状態ではない。微かに指が動いただけだった。

 「・・・聞こえてるみたいだね。仇を討てた気分はどう?思い残す事は無い?俺の事も、道連れにしたかった?・・・俺と一緒の地獄はお断りだって?・・・でもね、もし、死後の世界があるとしたら俺達はきっと同じ所に行くだろう。婚約者のところに行くなんて考えてる?・・・無理だよ。だって、君は人殺しだもの。佐々木を殺した、人殺しだ」

 声が近づく。

 「君の婚約者は、さっきの佐々木君みたいに犯人に羽交い締めにされた。そして、君は、その犯人に向かい銃を構えた佐々木君にそっくりだった」

 (何が・・・言いたいんだ・・・こいつは・・・)

 「通り魔が婚約者を羽交い締めにして、警察官が銃を構え、撃てなかった」

 (だから慶子が死んだ)

 「俺が佐々木君を羽交い締めにして、君が銃を構え、撃った」

 (だから?)

 藤沢は、さっきの状態を思い出す。そして、似たような情景を想像した。

 「羽交い締めにされた人が死んだ。人質が死んだ。人質は誰だ?君が殺したのは誰?佐々木君?婚約者?」

 目の前で倒れた佐々木の姿に、慶子の姿が重なる。

 (や、やめろ・・・俺の居場所は、慶子のと、こ、ろ・・・)

 藤沢は微かに体を振るわせた。

 「よく、その状態で、俺を撃って、佐々木君の事も撃てたね。感心するよ。動けば、もっと出血して、もっと苦しいはず。よく、そんな勇気があったね。・・・その勇気、もっと早く違う形で出して欲しかった。その勇気があれば・・・誰かを殺すのではなく、誰かを助ける事が出来たはず。給食費を盗む勇気があるのなら、熊沢達に立ち向かえたんじゃないのかい?」

 (俺は・・・)

 「君が操作したかった記憶って何?給食費を盗んだ事?俺を見捨てた事?婚約者が死んだ事?俺達が友達だった事?婚約者の死に方?何?何を操作したかったの?何を消したかったの?俺の存在事態を忘れたかった?・・・それとも・・・」

 (・・・)

 藤沢は、それ以上、何も考えられなくなった。
 何も考えられない頭に、横井の声だけが響く。

 「それとも、育った家庭環境?・・・それくらい、調べてるよ。君は帰る場所なんか無い。唯一、帰る場所だった婚約者が死んで、君はこの世に居場所なんて無い。そう考えてたんだろう?」

 藤沢は、体が重く沈む感覚と、反対に軽くなる感覚。両方を感じた。
 相変わらず、横井の声だけはハッキリ聞こえる。

 「もう聞こえないかな?・・・死後の世界なんて無ければ良いね。何もかも、魂も感情も消えて無くなってしまえるのなら、この後、君は婚約者に会えないと嘆く事も無い。いつか、俺が死した後に出会う事も無い。全てが無に帰れたら・・・俺も、その時には開放されるのだろうか・・・」

 藤沢は、意識が完全に無くなる直前、黄色い花に包まれている錯覚に落ち、そのまま意識を失った。
 まったくなんの反応も無くなった佐々木と藤沢。
 横井は、その場に膝を付いた。
 その顔は、無感情。なんの達成感も無い、そして後悔も懺悔も、感情の込められていない表情。
 ただ、とめどなく、涙が頬を伝わって落ちていく。
 横井自身、その涙に、暫らく気が付くことが出来なかった。


 『忘憂』に、ひとりの客が入る。

 「やあ、こんばんは」
 「いらっしゃいませ、こんばんは・・・お客さん、初めて、ですよね」
 「ああ、初めてだけど・・・初めての気がしなくて」
 「そうですか」
 「それと、お客さんって呼ばれるのは、ちょっと・・・。名前で呼んでもらいたいな」

 そう言って、客は女店主に名刺を渡す。

 「では、私の事は、店長と呼んで下さると嬉しいです」
 「名前は訊いちゃダメかい?」
 「名前を訊かれるのは暫らくぶりです・・・」
 「教えたくないかな?」
 「いいえ、私の名前は・・・シャオペイです」
 「シャオペイ・・・、外国の方?」
 「・・・日本名と日本国籍も持ってますが、ここではその名で・・・」
 「ふ〜ん、ところで、ここの店の名前って不思議だね。どう言う意味?」
 「意味は解かりません。カンゾウの花の別名です」

 客は、店内を見渡して黄色い花の絵を見つける。

 「なるほど、エゾカンゾウか・・・。実は俺、偶然、電話帳で見つけた『忘憂』って店名に惹かれて探してきたんだ」
 「そうなんですか?嬉しいです」
 「うん。ちょっと、解かり難い場所にあるから、迷いそうだったけど」
 「すいません。でも、ありがとうございます」
 「どうしても名前の意味を訊きたくてさ・・・」
 「お客さん・・・いいえ、横井さんは、どんな意味だと思いますか?」

 横井は、左の人差し指で眼鏡の中央を押し上げながら答えた。

 「忘れてしまった事を、憂い哀しむ。それが忘憂・・・かな?」
 「憂いを忘れる、と、考える方もいましたけど・・・その意味は初めて聞きました」
 「どっちが正しいのかな。どっちも間違いかな?ま、どっちっでも良いか」
 「自分なりに、解釈して良いと思います」
 「そうだね・・・。人間は忘却しないと生きていくのは辛い。でも、忘却した事を思い出せなくて嘆く。どっちも有りかな?」

 横井は、静かに、寂しそうに微笑んだ。

終り

まったく感情移入が出来ない藤沢でしたが、給食費を何故盗んだか?
そこから考えてこんな話になってしまいました。
前半、多数出てくる「不幸話」は、すべて実話です。
多少、性別を変えたり年齢職業を変えたりと、脚色してありますが
実際にあった不幸話、です。いやな話ばかりですが(汗)

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