リュウゼツラン2

 ワタルが目を醒ましたのは、夜中だった。
 起きあがり、しばらくぼんやりと座ったままでいた。

 「……ボク、行かなきゃ」

 ワタルは眠っている祖母を起こさないように、そっと家を抜け出した。

 「泣いてる、森が泣いてる……」

 森に入れずに家に戻ってきたワタルは祖母の胸でずっと泣いていた。
 木や森の悲鳴にどうしていいかわからなかった。
 動物達の悲鳴もワタルには聞こえていた。

 「花が……リュウゼツランがもうすぐ咲くのに……それに……」

 月明かりに照らされた細い道を走り森へ急いだ。
 立ち入り禁止の柵を迂回し、森の中へ入る。

 「ひどい、ひどいよ!」

 森の入り口だった所に、ワタルは立っていた。
 たった1日で、そこはもう森ではなくなっていた。
 手当たりしだいに切り倒された木々、掘り起こされた切株、その大部分はすでに運ばれていたが、運びきれなかった木が機材とともに整然と並んでいた。

 ワタルはそっと、横たわっている木に触れた。
 木は、ただ冷たく、何の感情もなかった。
 ワタルは顔を上げ、まだ無事な木の方を見た。

 森は、怯えていた。

 涙がこぼれ落ちた。
 寒くないのに体が震える。
 震える体で森の奥へと走る。
 どこに逃げていいかわからない動物達の息使いも感じる。
 森の奥、道がなくなった辺りも、いくつか木が切り倒されている。
 先を急ぐ。

 「リュウ……」

 森の奥に着いたワタルは、リュウゼツランを見上げた。夜のリュウゼツランを見るのは初めてだった。
 空へ真っ直ぐ伸びるその姿は、必死に生きようとしていた。
 湖に目をやる。

 「シャオロン?」

 小さな声で呼びかける。
 ワタルが一人でここに来た時だけ現れる友達。

 「シャオ?」

 もう1度呼ぶ。
 パシャ。
 遠くで水音がした。

 「シャオロン!おいで」

 呼んでもそばにこない。シャオロンと呼ばれたミニリュウもまた怯えていた。

 「……シャオ、森が……森が壊れてく、だから早くここから逃げて!わかった?仲間と一緒に逃げて!」

 しばらく悲しそうにワタルを見ていたミニリュウだが、何かに驚き姿を消した。

 「!?」

 耳鳴りのような音がワタルの頭に響いた。
 同時に足元からも鈍い音が響いてくるように感じた。
 この音にミニリュウも反応したのだ。
 それはまるで、大気と大地の叫びのようだった。


 木の伐採は順調に進んだ。事故もなく、現地採用者も手際よく仕事を進める。開発反対を唱える者も日々減っていく。
 過疎化の進むこの町で、施設が完成すれば雇用も増え人口も増える。
 予定外に、伐採と整地・施設建設の為に現地採用した事も良かったようだ。

 そして、一ヶ月後……。

 バーンとレヴィは、また、テイト開発に遊びに来ていた。

 「そうだ、忘れてた。秘密基地ってどこなの?」

 トキが、突然二人に聞いた。

 「……秘密基地の事、忘れてた」
 「うん。ワタルがいないから、忘れてた……」
 「こんなに木を切ったんだから、ワタルがいなくても行けるんじゃない?」
 「むりだよ、トキ。大きなモンスターとかに会うかもしれないし……」
 「うん、ワタルならモンスターを避けて行けるけど……ボク達だけじゃだめだよ」
 「大丈夫だよ、モンスターなら全部捕まえるはずだよ」

 トキは自慢げに胸をはった。

 「森のモンスターは、近くの山に逃げたんだけど、まだ逃げないで森に残ってるのもいる。でも大丈夫、それは全部捕まえるから」
 「どうやって?」
 「誰が?」
 「父さんがポケモントレーナーを雇ったんだ。モンスターを全部捕まえちゃえば、危なくないでしょう?森がなくなる前に見せてよ、秘密基地」

 その言葉に二人は固まった。

 「何?どうしたの、二人とも」

 今の今まで、バーンとレヴィは森がなくなるなんて想像もしていなかった。
 森の一部分がレジャーランドになると思っていたのだ。

 「森がなくなるって、どういう事!?」
 「うそでしょう!」
 「うそじゃないよ。森なんかなくして、もっと便利で面白い物が出来るんだ」

 二人は顔を見合わせた。
 そしてトキではなく、テイト開発社員をつかまえて訊いた。

 「おじさん!森がなくなるって本当なの!?」
 「なんだ?いつもここに来てて知らなかったのかい?」

 社長令息のお守り役の社員は、子供にもわかるように説明してくれた。

 森は一部分だけ残るけど、自然のままではなく手を加える事。
 誰もが安全に遊べる場所になる事。

 ここは便利になり、町の人達全員が喜んでいる事。

 「みんなが望んでいるんだ。森がひとつなくなっても、ここ以外に森も山もたくさんある。何も困る事はないんだよ」

 バーンとレヴィは言葉の意味は理解できたが、心はその言葉を理解できなかった。

 「……トキ、オレ達もう帰るよ」
 「じゃあね」
 「二人とももう帰るの?秘密基地は?」
 「ワタルがいないとダメだよ」
 「ばいばい」

 「そう……あ、送るよ」

 バーンとレヴィは車の中で一言も話さなかった。
 いつも、トキの家からテイト開発の往復は車に乗せてもらっていた。
 今朝も、車の中から、どんどん進んで行く工事を見て騒いでいた。
 だが今は、大掛かりな建設作業や大きなクレーンを見ても言葉はなかった。

 町の真ん中あたりで車を降りた二人は、車が去ってから、ワタルの家に向かった。

 「ごめんねぇ、まだ熱が下がらなくて……起きられないの」

 ワタルの祖母は申し訳なさそうに言った。

 「ずっと、寝てるの?」
 「そんなにひどいの?」

 バーンとレヴィはどうしてもワタルに会いたかった。

 「お医者さんにも診てもらったけど…何の病気かわからなくて……」

 ワタルは開発が始まった翌朝からずっと寝込んでいた。
 熱が日中はどんどん上がっていき、夜には少し熱が下がり、いくらか食事もできるが、また日中には高くなる状態が続いていた。

 時々、バーンとレヴィが訪ねて来ているのを、ワタルは気づいていたが起きられなかった。
 今も二人が来ている事に気がついていたが、会いたくなかった。
 森がどうなっているのか聞きたくなかった。
 聞かなくてもワタルにはわかっていた。
 森や木々が苦しみ悲しんでいる事に、ワタル自身が同調しているのだから。

 伐採の傷みと苦しみを身体で受けとめたワタルは体温が上がり、木々や動物達の悲しみはワタルの心を絞めつけていた。
 そして大気と大地の叫びも、ワタルには聞こえていた。

 「ワタルのおばあちゃん、……ボク達、知らなかったんだ。森を全部なくしちゃうって知らなかったんだ!モンスター達もみんなつかまっちゃうんだ。どうしよう……どうすればいいんだろう……ワタルに訊きたかったけど……」
 「バーン、レヴィ、あたしもどうしていいかわからないよ。壊してしまうのは簡単だけど、簡単に元には戻せない。大部分の町の人達は元に戻らなくてもいいから便利な生活が欲しかったのかもしれないねぇ……」

 二人は返す言葉がなかった。さっきまでレジャーランドやデパートを楽しみにしていた事が、心苦しかった。


 その夜、ワタルは体を引きずるように家を抜け出し、森へ向かっていた。

 道路は広くなっていた。
 伐採もだいぶ進んでいた。
 整地された場所には 大きな建物の建設も始まっていた。
 あちこち明かりが点いている。
 ワタルはこっそりと暗い所を進んだ。

 まだほとんど手付かずの森の奥へ着く。
 昼にベッドの中で聞いた言葉を思い出す。

 「モンスター達が……ここに集まってる?」

 たくさんの気配を感じたが、姿は現さない。

 「お願いだよ、みんな逃げて!なんだかすごく、すごくイヤな予感がするんだ!!」

 返事はない。
 植物も動物も、じっと身を硬くしている。
 だが、かすかな意思に呼びかけられたような気がして空を見上げた。

 「リュウ……」

 蕾をつけた竜舌蘭だけがワタルに答えるように、意思を伝えていた。

 「リュウ……明日、咲くの?」

 その時、ワタルの後ろに誰かが立った。
 ワタルは驚いて振り向いた。

 「ワタル、竜舌蘭は花が咲き終われば枯れてしまう。……ここに残ったモンスター達は運命をこの花とともに、この森とともにしようとしているんだねぇ」
 「おばあちゃん!?何でここに?」

 ワタルの祖母は、彼と森とを同じようにやさしい瞳で見ていた。

 「あんたがここに来るって、わかってたよ。あたしの孫だもの、森の悲鳴を無視できなかったんだろう?」
 「おばあちゃんにも聞こえるの!?」
 「ほんの少しね」
 「秘密基地の事、知ってたの?」
 「ここの事かい?こっそり来てるだろうと思っていたよ。あたしも若い頃はよく森の奥で遊んだからねぇ。秘密の場所はいくつもあったけど、ここは一番だったねぇ。でも、ここもなくなってしまう……」

 ワタルは祖母の腕をつかんだ。

 「おばあちゃん、助けて!せめてモンスターだけでも助けて!」

 彼女は静かにワタルの頭をなでた。

 「おまえはやさしい子だねぇ。……モンスターの気持ちを感じているんだろう?助けて欲しいって言っているかい?」
 「……言ってない、でも、助けてあげたいんだ!なんだかすごくイヤな予感がする、モンスター達がひどい目にあうかもしれないんだ!」

 祖母の表情が曇る。彼女は竜舌蘭に近より、葉に触れた。

 「ワタル、あたしにはどうすることも出来ないんだよ。町長をはじめ大勢の町人は開発に賛成した。あたしみたいに反対する人間は少なかった。そして反対する人間もだんだん減っていった。だれも止められなかったんだよ」

 ワタルは今まで気がつかなかった
 祖母は足を引きずっている。
 言葉ではなく、イメージがワタルの頭に断片的に浮かんだ。

 「おばあちゃん……その足……。反対した人は、みんなそんなふうにケガをしてるんだね!?」
 「ワタル?……ああ、この仔を通してあたしの記憶が見えたんだねぇ」

 彼女は竜舌蘭の葉をなでた。
 ワタルはそれ以上何も言えなかった。

 (ボクの知らないところで、おばあちゃんは森を守ろうとしてケガをした)
 (ボクは、おばあちゃんも森もモンスターも守れないの?)

 また、ワタルにしか感じない耳鳴りと地響きがした。
 真っ黒い空から、冷たい雫が落ちてくる。

 「雨だよ、帰ろう、ワタル」

 ワタルは黙ったまま、うなずく事しかできなかった。


 雨は一晩中降っていた。
 翌朝、目が覚めたワタルは身体が楽になっていて驚いた。
 昨日までの苦しさが嘘のようだった。

 あまりにも静かな朝……。
 小雨の音だけがかすかに聞こえる。

 イヤな予感がワタルにまとわりつく。

 「……おばあちゃん、上手く言えないけど、何かか変だ、おかしいよ」
 「そうだねぇ、いやに静かすぎるねぇ……」
 「ボク、行かなきゃ……何かが起きる……それをボクは……」
 「……行くのかい?」

 ワタルは大きくうなずいた。
 今、起きてる事態も、これから起こるだろう何事かも、ワタルには止める力はない。それでも彼はじっとしていられなかった。

 「危ないってわかってる、でもボクは行く」

 ワタルの祖母は、ワタルをぎゅっと抱きしめたい気持ちを押さえる。
 抱きしめたらワタルの決心が揺らぐかもしれない。

 「ワタル……気をつけて行っておいで」

 彼女はそう言って後ろを向いた。

 「行って来ます!」

 ワタルは家を飛び出す。

 (……止める事が出来ないのなら、せめてその目でしっかりと事実と現実を見届けておいで……でも、ワタルには辛すぎる結末かもしれないねぇ……)

 いつのまにか、小雨はあがっていた。
 ワタルは水たまりも気にせずに走る。
 クラクションを鳴らし、トラックが走る。
 道の端に追いやられてワタルは走る。
 遠くに見えてきた建設物は、昨夜見た時より工事が進んでいる。

 「もうたくさん人が来てる。ずっと回り道しないと……」

 ワタルは道から外れて、林の中に踏み入り斜面を登った。

 その時、

 「え?何?」

 ずっと遠くから、猛スピードで何かが近づいてくるような音がする。
 ゴー―― という、地から空から聞こえるような音。

 その音は一瞬のうちに、音ではない音と衝撃に変わった。

 「わー―!!」

 足元をすくわれたワタルは落葉が積もる地面に座りこみ木にしがみついた。
 衝撃は激しく大地を揺すっている。

 地震だ。
 揺れは数十秒続いた。
 ワタルにはそれが何分も何十分も続いた気がした。

 「や、やっと……止った!?」

 地震は終ったが、地震ではない地響きが聞こえる。

 「何、これ?まだ何か聞こえる!?」

 ワタルは森のほうを見た。
 木のなくなった場所に建っている物が、傾いていて人々の叫び声と悲鳴が聞こえる。

 「ちがう、あれじゃない。もっとちがう何かが……来る」

 森のずっと奥で何かが壊れたようなイメージを、ワタルは感じた。
 ゴゴゴゴゴゴゴ……。
 その音にワタルは近くの木に登り、森と建設現場を見た。

 「あれは、水!?」

 川か湖が決壊したのか、地底湖が噴出したのか、大量の水が土砂と木とともに濁流となって押し寄せてきている。
 人が走って逃げられる速さではない。
 だが、ワタルはその濁流がスローモーションのように見えた。

 「ひどい……」

 流されて来るのは、木と土砂だけではなかった。
 モンスター達も、激しい流れに身を任せ、体を打ちつけながら流されている。
 流れは建設中の建物も飲み込んで行く。
 ゆっくりと、建物が傾き崩壊して行く。
 バラバラになった建材が流されて行く。

 そして濁流は幾分スピードを緩め、倒木などを少しずつ林に引っかけ、太くなった道を流れて行った。

 ……どれぐらい、ワタルはそうしていただろう。
 木の上に登り、幹にしがみついていたワタルは、嘘のように水がひいた地面に降りた。
 むかるみに足を取られながら、大人達はケガ人を運んでいる。
 建設現場で、かなりの負傷者が出たようだ。

 (あんなにひどい濁流だった……亡くなった人もいるかもしれない……そう、モンスター達だって……)

 忙しそうにする大人達はワタルに目もくれない。
 誰にも咎められず森だった場所へ入る。
 作業員にしては小柄なケガ人が担架に乗せられた。

 「トキ!?」

 ケガ人はトキだった。
 母親らしき人が、意識のないトキに、必死に呼びかけていた。

 「……左足、もうダメかもしれないな」

 どこかで誰かの小さなつぶやきが聞こえた。
 いたたまれなくなってワタルはその場を後にした。

 ワタルはモンスターを見つけた。
 負傷者が次々運ばれて行く中、モンスターだけは助けられずにそのままになっていた。

 「ねえ、目を開けて!返事をして!」

 返事はなく、そのモンスターは冷たくなっていた。
 ワタルは他に倒れているモンスターにも呼びかけるが反応がなかった。

 「ねえ、目を開けて、起きて!」

 ……何度揺すっても返事はない。何匹も何匹も同じ事を繰り返すが、誰も眼を覚まさなかった……。
 それでもワタルは諦めなかった。

 「ひどいよ……何で、何でモンスターは助けてもらえないの?ねえ、お願いだよ、起きてよぉ……」

 負傷者が全員運ばれた頃、町の消防団がワタルに気がついた。

 「おい、ぼうや、ここは危ないから立ち入り禁止だ。おじさん達と帰るぞ」

 ワタルはそれを無視して、まだモンスターを捜していない方へ駆け出した。

 「おい!そっちは危ないぞ!!戻れ!」
 「すいません。あの子は、あたしが連れて帰りますから……」

 追いかけようとした消防団を止めたのはワタルの祖母だ。

 「ああ、あんたの孫かい?ケガ人のほうは?」
 「だいぶ手当ては済みました。もう年よりの手がなくても良いみたいだねぇ」

 彼女は、ケガ人の手当てに駆り出されていたのだ。
 離れていても、ワタルが無事だというのは感じていた。
 それでも心配で途中で抜け出してきた。

 自分が連れて帰るといって彼女は、足を引きずりながらワタルを追った。

 ワタルは、何度同じ事をして何度悲しんだだろう。
 見つけたモンスターは、誰も目を覚まさなかった。
 ……最後に見つけたのは、ミニリュウだった。

 「シャオロン……起きて!死んじゃダメだよ、お願い起きて、目を、目を開けて!!」

 小さなシャオロンを抱きしめる。
 そのそばに黄色い花びらが泥だらけになって落ちている。

 「シャオロン、……リュウゼツランが咲いたんだね、最後に……その姿を見られたんだね……。シャオ!?」

 シャオロンがピクリと動いた。
 そしてゆっくりと目を開けた。

 この時、遠くから見守っていた祖母はワタルの心の変化に気づいていなかった。


 ―――エピローグ―――

 伐採と雨による地盤の緩み。
 地震による液状化現象。
 鉄砲水の原因は特定困難。
 多くの死傷者と社長令息の大怪我。

 開発は中断され、森だった所は荒地と化して行った。
 町の人間も散り散りに都会へ出て行き、寂しい町になったいた。

 「ねえ、シャオロン……人間はポケモンの敵なんだ、こうやってなにもかも壊して行くんだ。敵はいつか倒さないと、ポケモンはみんな死んじゃうね……。大丈夫だよ、ボク達がみんなを守ってあげよう。一緒に強くなって戦うんだ」

 まだ幼いワタルと、まだ幼いミニリュウは、人間を敵と認識しはじめていた。

――終り――  

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